今 語られる
  昆布秘話
名物はこう育った

 好評の「ゆーめ探偵団」。「フーン!!」とか「ナルホド!」なんて反応を聞くと、何とも嬉しくなっちゃうじゃない。そこで、前号“ふじやの秘密”に続いて、第3弾は『吉川屋の秘密』。デヘッ何か嬉しくなるなー。 by.koji

《肩書き・役職・学校学年等一切の表記は、掲載時のものです》(1996年夏の号掲載)
天理土産がなぜ 昆布

「♪天理名物いろい〜ろあれど、なんといっても吉川やの昆布〜」と歌にまで謡われている(前回と一緒やん!)吉川屋の昆布。だれもが一度は、「?」と思った事があるハズ。「何で、海のない大和・天理の名物が昆布?」と。そこで、「分からないのは、聞くのが一番」と、同店をお訪ねし、「なぜ昆布?」という辺りから、鋭く切り込んでみた。そして次の時代をもにらんだ商品開発の努力まで聞いてしまったのだ。


創業大正12年
ルーツは、お江戸。仕出し用の昆布巻き。関東大震災が“天理名物”を生み出したようなもの。人生って分からんねぇ。&努力が第一だね。

 川原城本通りの本店で、2代目の上田稔子さんにお話をうかがった。
 吉川屋さんの創業は大正12年。上田さんの父・兵三郎さんが創業者だ。兵三郎さんは、それまで約10年間、東京で仕出し弁当用の「昆布巻き」卸業を営んでいたが、関東大震災で大きな被害を受け、生まれ故郷の天理へ引き揚げて来た。
 そして、現在の「天理文具」のある場所で、商売を開始した。当時の天理本通りは店舗もほとんどなく、もちろんアーケードもまだないころ。後、この創業店は店頭が南向きなので、「太陽の光が当たると昆布が変色する」との理由から、筋向かいの現在の本店の場所へと移転した。「当時、父は昆布の切れ端や酢昆布を小さな袋に詰めて、天理教の詰所や地元に帰られる団体列車の中で、見本として配って歩いていたようです」と稔子さん。
 後に稔子さんも兵三郎さんと一緒に配った記憶があるという。

お得意さんも

 こうしたコツコツとした“営業活動”が功を奏し、地元のみならず、全国各地の天理教の信者さんたちからも「吉川屋の昆布はおいしい」という評を得られるようになった。
 また、昆布は天理教の神様にお供えするにも欠かせない品であるということから、全国各地の天理教の教会からも注文が来るように。
 既に、大正15年に行われた、天理教の教祖(おやさま)四十年祭の時には、店頭にお客さんがあふれたという。「今では、先代のお得意さんの孫、ひ孫という年代の方からもごひいきいただいてます」と、さすが老舗。

新・昆布飴登場
新製品の開発も熱心。いろんな味があるよ。試してみる!?

 吉川屋の昆布は、すべて、北海道道南(函館周辺)で採れる上質の昆布。商品に応じて、いろ いろな味を付けるが、基本的には「噛めば噛むほど味が出る昆布です」とか。商品の種類は約130種類。値段も300円からとお手頃。「とろろ昆布」「だし昆布」「松茸昆布」など、オーソドックスな商品に加え、吉川屋さんの売れ筋はなんと言っても「昆布飴」。ほんのりと昆布の風味が味わえ、口の中でとろける飴だ。「昆布を若い人にも味わってもらいたい」と、今では「チョコソフト昆布飴」や「はちみつレモン昆布飴」「ソフトコーヒー飴」など、“新しい味”の商品も開発している。
 こうした企業努力の結果、「千代の春」という極上塩吹昆布で、昭和58年の第32回「全国水産加工たべもの展」で農林水産大臣賞を受賞。63年にも「太白おぼろ白峰」で受賞した。
「極上の昆布を吟味し、商品にする。そしてお客様に喜んでいただく。それがうちのモットー。味には絶対の自信があります」
 吉川屋のニュー昆布、一度、味わってみよう。

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