今 語られる商売繁盛 
  

価格破壊の謎

 前号、フスマの引き手は受けたウケタ。ウハウハ。編集者冥利に尽きるわい。そこで贈る第2弾!ふじやの秘密。ヒミツと聞くと何かうれしいよね。まっ、読んで。感想聞かしてや! 取材:K.S.&T.I.

《肩書き・役職・学校学年等一切の表記は、掲載時のものです》(1996年春の号掲載)
年間500万足! なぜ安い??

「天理名物いろいろあれど、なんといってもフジヤの靴下〜」と歌にまで謡われている(そんな歌はない!)ふじや靴下。だれもが一度は、ここで靴下を買った経験があるだろう。種類が豊富、丈夫でしかも安い。天理教本部へ参拝に訪れる人たちも、遠回りしてでも、ふじやの靴下へ足を向けるという。「安かろう、悪かろう」の常識を覆す、安くて丈夫な靴下。我々「ゆーめ探偵団」は天理名物ふじやの靴下に迫ってみた。


風呂敷1包みから

「ふじや靴下」さんの創業は昭和40年ごろ。創業者・藤本清一さんの長男・圭一さんの話によると、「父はそれまで、ボタン製造業を営んでいましたが、不況の影響により関連倒産し、路頭に迷った。その時、父は、ふろしき包みを背中に背負って靴下を売っていたおばあさんから、『これを売りなさい』とふろしき包みを一つ渡された。父はそれを売り尽くし、この商売に目覚めた」と。
 以後、路傍や神社境内での商売を経て、スーパーの店頭販売や催し場での販売へと着々と業績を伸ばしてきた。当時、スーパーの催事へは1人ないし2人の販売員が出向き、販売。そうしたチームが最高時には12チームほどもあったという。
  現在でも、この出張販売は続けられており、5〜7チームがこれにあたっている。しかし、清一さんは、業態が大きく進展して後も、最初にふろしき包みを譲り受けたあのおばあさんとの取り引きを、おばあさんが亡くなるまで続けたという。

日本初の靴下専門店

 昭和49年ごろ、天理駅前にビルを建て、初の直営店舗を開店。当時、靴下専門店は全国でも珍しく、「やって行けるのか?」と危ぶむ声も多かったという。最初は日に1、2万円の売上。そんな中、10円、20円という品を店頭に並べ、安さをアピール。日に日に売上を伸ばし、ある天理教の月次祭(つきなみさい)の日に20万円の売上を記録した。「日々、(10円、20円という)サービス品を出すという積み重ねが、好結果を生んだのでは」と圭一さんは述懐する。
  現在では、月次祭前後の3日間で、ン100万円以上売上があることも。すごい!!

関西に6店

 現在、天理には駅前店と本通店の2店舗。他にも、大阪、尼崎、神戸に4店舗を経営。これらの店舗は商店街のド真ん中という好条件にあるというが「どの店舗よりも天理駅前店の売り上げが一番」だという。
  なぜ!? 天理教関係者など地元以外の人の出入りが多いこと。&地元に密着したサービスを続けていることなどが挙げられるのではないだろうか。圭一さんも「天理教さんのお陰もあるが、まさに地元にマッチした商売なのでしょう」と話す。

安さのヒミツ

 では、「なぜ、安いのだろうか」
  ふじや靴下さんは、県内の主要な靴下メーカー、工場300社余りをカバーしている。その中で、どのメーカーの品物が自社の要求に合うかを知り、さらにメーカーとの信頼をコツコツと築き上げてきた。
 そこで、一工夫。メーカーでは、1,000足を製造する場合でも、機械の具合によって多少の色むら、織りむらの靴下が出る。それを見越し、注文より多く織る。つまり、放っておけば、ゴミ。しかし、ちゃんとした製品。「ふじや」さんはこれらの余剰品もまとめて買い上げる。 あるいは、大手のスーパーなどは、気候不順によって、メーカーに注文した品の納期延長を申し出る場合がある。これは、「もう買わないよ」との意思表示と同じだとか。メーカーとしては、在庫を抱えることは死活問題。一刻も早く売りさばきたい。「ふじや」さんではこうした品も安く買い上げる。つまり、売る方、買う方、どちらも嬉しい!
 そのほか、B級品と呼ばれる、ちょっとの汚れや織りむらの品も、他の商品と一緒にまとめて買う。こうした「より良い品をより安く」という姿勢を貫き続けてきたのだ。「常に安くてよい商品を探すこと。在庫を豊富に持つこと。仕入れを途切れさせないこと」。圭一さんは「ふじや靴下」の経営方針をこう語る

安くて信頼の品

 ふじやの6店舗で売れる靴下は、年間約500万足。天理の2店舗で、そのうちおよそ3〜4割が出るという。安価な商品でも、数いけばスゴイ。つまり、薄利多売。靴下という製品の性格上、好みや趣味にそう大きな違いがないことなどから、お土産にする人も多いためとか。「たかが靴下、されど靴下」。何事も極めれば、奥が深いのだ。ナットク。

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