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−オリンピック金メダリスト誕生!−
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"じみーず"からヒーローへ
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天理大学4年次
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野村忠宏さん
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柔道が“日本のお家芸”と言われたのも今は昔。日本の代表だから勝てるというほど、勝負の世界は甘くない。アトランタ五輪でも、初日からヤキモキした人も多かったハズ。だが、やってくれました。地元、天理大4年の野村忠宏選手が!! 天理中学、天理高校、天理大学と生粋の“テンリっ子”の野村選手が、ぬわぁ〜んと『金・メ・ダ・ル』に輝いたのだ。(バンザーイ。あの感動をもう一度!!)
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《肩書き・役職・学校学年等一切の表記は、掲載時のものです》(1996年秋の号掲載)
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"ジミ−ズ"結成
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天理本通りをパレードする野村選手。
嬉しかったよね−(1996年7月31日) |
まず印象的なのは、表彰の後で金メダルをくわえている写真。以後、選手間でも流行したようで、海外選手のくわえ姿もよく見られた。「あれは、中村兼三さん(71キロ級)が優勝してくわえたのが先なんです」と野村選手。「僕ら、取材もそれほどされてないし、されてもあまり話さず地味なので“ジミ−ズ結成や”って言ってたんですよ。ところが兼三さんが優勝したら“ジミーズ解散や。俺は脱退する”って。僕一人取り残されたので、金メダルを取ってやろうと密かに思ってた」
意外なところから、“金”への想いが募っていったという。ナルホド、そんな真相があったのか。
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野村選手“事件簿”
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最近、「ようやく落ち着いた」と言う野村選手。だが相変わらず、練習に取材にと超多忙な生活。「テレビに出演すること自体、経験がないので緊張しますね。中には、失敗したこともありますよ」と、話してくれた。
アトランタでの試合終了当日のこと。野村選手が各マスコミの取材を受け終わり、ホテルに帰ったのは午前2時ごろ。テレビ出演のために翌朝5時に叩き起こされ、迎えに来た車でスタジオに向かう途中、道路の警備が厳しいことに気づいていたが、深夜に起きた爆発事故をまだ知らなかった。
スタジオでは、日本からの第一声、「街の様子はどうですか?」という問いに、「いやあ、楽しいです」と答えてしまい、「冷や汗ものでした」と笑う。天才的ともいえるユーモアセンス抜群の野村選手に、もうひとつの金メダルを。
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「天理の街を含め、周りの人達の支えがあったからこそ、メダルが取れた」と、心根もメダル級の野村選手。今後は、「来年、パリで世界選手権があります。代表になるには、日本でまず勝たないと。がんばります」と力強い言葉。
“実るほど頭を垂れる稲穂かな”この名句がぴったりの野村選手。これからも、みんなで応援しよう。By koo
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