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「花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」と詠んだがために、現代に至るまで絶世の美女と伝えられてしまった小野小町。その“ミス大和撫子”が天理に来たことがある。たぶん、平安の都から長谷寺(天理の南隣の桜井市)参りの旅に出た、その帰りのことだった。
小町さんは、長谷寺で日ごろのウップン(?)をはらしたあと、来たときと同じ道を引き返した。桜井から山の辺の道に入り、三輪山の裾を通
って石上まで来た。その日はここで一泊の予定だったので、さっそく宿で汗を流し、夕暮れまでに時間があったので石上神宮に参詣した。その折り、旧友の僧である遍昭が、布留の滝のそばに住む母親の所に逗留していることを知ったという。そして、懐かしさから小町さんはいたずら心に、「いはの上に旅寝をすればいと寒し 苔のころもをわれに貸さなむ」と歌を贈った。石上での旅泊だから「岩の上に旅寝をすれば」としゃれて、「岩の上だから冷たい、寒い。どうか苔の衣(僧衣)をかしてほしい」。これに遍昭は、「世をそむく苔の衣はただ一重 貸さねばうとしいざふたり寝む」と答えた。「世捨て人の私の僧衣はまことに簡素なもの、一重しか着ていない。だからといってお貸しししないのは旧友ゆえに心苦しいので、かくなる上は共寝でも いたしましょう」と遍昭は戯れた。そんな言語遊戯的な贈答歌が『後撰集』に記されている。
小町さんは美女ゆえに、言い寄る男は多かったようだ。その中でも本命は、美男子の誉れ高かった在原業平だったのだろうか。それは本人に聞いて見ないとわからないけれど、平安時代前期に一世を風靡した美女が天理の地を訪れ、しかも一泊してくださったとはうれしい話じゃないか。欲を言えば、その宿泊場所と旅の汗を流した所がわかれば、もっとうれしいんだが・・・・・・。「美女の湯殿」にあやかって――、いやいや不謹慎なことは考えないことにしよう。
byMASA
【写真】 石上の杜。木々は、小町の恋を覚えているかもしれないネ
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