00.06.23.

官能論
人はなぜ 美しさにこだわるのか

立教大学教授 北山晴一


発行:講談社

1994年9月27日
 第1刷発行

定価:1,600円

(古書店で500円で購入)

 表紙がいい。古本屋で思わず手に取ったのは、あたしの下心。そして筆者の経歴を見ての好奇心。さて、フランス文学者の語る官能論とは

 この本を取り上げるには、いささかの勇気がいった。だってさ、ほら、この表紙でしょ。古本屋で何を期待して手にとったか、下心が見え見えじゃないですかぁ。にきび面の少年のように、多少の後ろめたさと期待、好奇心でもって、いそいそと書棚から取り下ろしたわけ。でっ、見返しの著者経歴を見、あとがきを読んでみて、がっかり感と同時に別種の好奇心がムクムクと頭をもたげてきた。500円だエイッ買っちゃえ−と私の書棚に移り住んだ次第。

 さて、筆者は東大仏文科卒、博士課程修了、パリ第三大学専任講師を経て立教大学教授。専攻はフランス史、フランス文学。著書に『ヌードとモードの国』(日経新聞社)、『おしゃれの社会史』『美食の社会史』(朝日新聞社)などがある。

  でね、一読してこれが結構おもしろかった。硬いといえば固い、何がいいたいのか多少難解といえば難解。やはり、にきび面の青少年むきじゃあなかった。でも、さすがダンディズムの旗手。フランス史の中から、服飾(下着からドレスやパンタロンの盛衰まで)、香水、食生活などを取り出してみせ、フランス文学のエッセンスをぱっぱと香辛料代わりにして、まじめそうでまじめじゃない、いやらしそうでいやらしくない。ふーん、賢い人というのは、エロスさえこんな風に書き上げてしまうのかと、ほとほと感心した。

 たとえば婚姻。何か昔から一夫一婦制だったような、違うような。漠然としているよね。第一章「官能と性」には、こう記されている。

――ヨーロッパ近代は、エロスを結婚制度と結びつけることで性の隔離を図ってきた(明治の日本が移入しようと努めたのも、このヨーロッパ近代の制度であった)。そのイデオロギー的な柱を提供してきたのが、エロスを生殖目的に限定するというキリスト教的なモラルであろう。
 近代の結婚の目的は、何であったのか。
 結婚は心の問題ではなかった。結婚の目的はもっと散文的な、血統と財産の継承というところにあった。このように実際的で限定された目的の枠内で、性交をし、女に子をはらませ、産ませることが大事だった。愛があろうがなかろうが、子供はできる。結婚や生殖行為と、愛との間に必然的な関係があるわけでなかった。もっと具体的にいえば、そもそもキリスト教的なモラルでは、女が快楽を感ずること、ましてや快楽を求めることは罪であり、一方、男の方も妻を愛人のように愛してはいけない、としてきたのである。

 目からうろこの一枚目。この指摘当たってるもの。いまの時代だって、そういう感覚というか意識というか、根強くもっている人いるよね。著者は後段で「この図式化がほんとうに笑えるほどわれわれの時代が進化しているかといえば、それは大いにあやしい」と書いている。このへんの感覚を持ち続けている男や姑がいて、それがDVとかの下敷きになっている部分もあるんじゃないかと思うよね。

 内容は至極まじめなんだけど、こりゃ編集者のアイデアなんだろうかね、各章のタイトルがいい
第一章「官能と性」、第二章「ポルノグラフィーの深層」、第三章「感じる視線」、第四章「下着の変身」、第五章「においの魔性」、第六章「上流の作法」、第七章「ダンディズムを生きる」、第八章「パリ・モード夢想」、第九章「美食をめぐる欲望」。つけもつけたり、うまいというかあざといというか。でも惹かれるもんなぁ

 で、惹かれて読み進むうちに、いま私たちが“常識”と考えている衣服や香水、性をめぐる男女のありかたなどが、いずれも近々100年か200年の間に変遷を繰り返しつつ、定着(?)してきたものだと分かる。そしてそれは、近代以降の女性性の管理と開放といった直線的な図式だけでは理解できない、男と女のそれぞれのありようと、相互性がもたらしたものだと思える。

――いったい下着のおしゃれの本質はどこにあるのか。羞恥心に従うかに見せて、逆に欲望を刺激する。そのことを女性はよく知っていた。だから、下着の贅沢が行われたのである。常識的には他人に見せたり、見られたりするものではない下着についていろいろな工夫を凝らしておしゃれをする。それはこの領域においてだって、必ずそこに「見る」「見られる」の弁証法、すなわち他者の視線が介在しているからなのだ。―第四章「下着の変身」から

 こんな部分を引用すると女性や著者に怒られそうだけれど、およそ人間の営みはすべて学問になるんだなぁと、あらためて感心。最後の方では、彼我の食生活などを論じる中で、和菓子のもつメッセージ性と香水のもつそれとの類似点を指摘、うーんと唸らせてくれた。とその直後で、こんな風にも記している。

――大福、すあま、外郎(ういろう)を使った生菓子、そして羊羹(ようかん)のように、手ざわり、舌ざわりが、人間の肌の感触を生々しく思わせるのも和菓子なのだ。これはもう、モノそのもの。あらがいがたい官能的なまでの存在感をもって迫ってくる。―第九章「美食をめぐる欲望」から

 ここまで読んで、何十枚目かのウロコが、また目からハラリ。大福---うーん、そう言われればそうだなぁ。外郎は、あの子の唇のプルンプルン感と----なんて決して思ってしまったわけですが。たかが菓子一つに「官能」を感じ取るあたり、深い、ディープ。

 と、そういえばフランス文学者でありながら、本書ではワインに関する踏み込んだ記述はない。先生、もしかしたら下戸、もしかしたら甘党なのかしらん。

 

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