00.06.20.


 ドメスティック・バイオレンス
への視点

 
     日本DV防止・情報センター[編]


発行:朱鷺書房

1999年4月10日
 第1版第1刷発行


定価:1,600円+税

「他人事」のように感じていたDV。しかし、読むうちに慄然とした。
手こそあげないが、心性を顧みれば私も危い。そう、思った。

  どうも“人権”という言葉の響きにアレルギーのようなものがある。問われている中身には、大方の場合異存はないし、重大な問題が少なくないと思う。しかし、声高に糾弾し、我こそが“正義”と旗を振り回されると、正直、少々ウンザリしてしまう。

 それは多分、“人権”の名の下に「人権を踏みにじっているのでは」と思われるケースを身近に幾つか見て、声が大きいほどに“ほかに何か別の目的があるのでは?”と勘ぐってしまうようになったから。声高に“人権”を主張する人を、私はあまり信用しないことにしている。

 その延長線上で、セクハラも、満員電車の中の痴漢も、その何割が実際にそうなのだろうか?!−と、そう思うことがある。中には、被害妄想、自意識過剰、あるいは悪意による捏造すらあるかもしれない。最近しきりに報じられている「電車での痴漢濡れ衣事件」などが、ますますその観を強くする(だから、たまに満員電車に乗るハメになった時には必ずバンザイして、両手を吊り革に預けることにしている。私の面相風体では「痴漢よ!」と叫ばれた場合、100%濡れ衣を晴らすことは不可能だと確信しているから)。

 DV=ドメステック・バイオレンスについても、そう関心はなかった。薬物やアルコール依存症、不就労などがかかわる、ほんの一握り、あるいは特別な家庭orカップルの間の特殊な出来事なんだろうと。私には関係ない、と。しかし、仕事の必要から本書を手にし読み進むうちに、そうした見方が世の大勢の人が抱く誤解、あるいは偏見と同じであると思い知らされた。無関心が苦しむ人を増やす。

 本書の冒頭には、次のように記されている。
――ドメステック・バイオレンス(Domestic Violence)を文字どおりに訳すと「家庭内暴力」である。わが国でいう家庭内暴力は子どもによる親への暴力とされる場合が多い。しかし、ここでいうドメステック・バイオレンス(以下、DVと略称)とは、男女の親密な関係の間におこる暴力のことであり、男性が女性に対して権力や支配力を行使する暴力を指し、女性が被害者になる場合に使われている。

 アメリカの女性運動家によって使用されたこの言葉は世界各国へと拡がり、1990年代に入り、DVとは女性の基本的人権を脅かす重大な犯罪であると認識されるようになった。

 アメリカでは、年間200万件以上のDVの深刻な被害が報告されている。わが国において、DVの被害件数を明らかにしたものはなく、限られた地域や団体による調査に限定されている。その中で1998年に公的機関として初めて行われた東京都民・男女4,500人を対象にした調査によって、3人に1人の割合で身体的暴力を受けた経験を持っており、また2人に1人が心理的暴力を受けていることが明らかとなった。この結果から、日本におけるDVが特別な家庭だけの、個々の問題ではないことがわかってきた。
     −−第1章「ドメステック・バイオレンスとは何か――DVコールにみる現実」より

 読みつつ、こんなに多いのに、なぜ見えないのだろうかと思った。本書は言う、「家庭内の事をさらすのは恥」との意識や、夫の仕返しを恐れていたり、子どもが幼かったり、あるいは経済的に自立するのが難しいと考えていたり・・・・表ざたにしないのではなく、できないのだと。

 ほかにも気づかなかったことはたくさんある。「暴力」といっても、殴る、蹴る、タバコの火を押し付けるといった「身体的暴力」だけではないということも、その一つ。
  セックスを強要する、避妊に協力しない、無理にポルノビデオを見せないといった「性的暴力」。ばかにする、暴言をはく、子どもに聞かせられないような事を言う、脅す、外出や電話を細かくチェックする(このあたり、思い当たる人もいるのでは--)「心理的暴力」「言葉の暴力」。そして、生活費を入れない、財布や定期券を取り上げて仕事や外出をできなくする、顔を殴ってアザをつくり欠勤せざるをえなくするといった「経済的暴力」もあるという。

 ケースレポートを読むほどに信じられない思いがした。DVの多くが、女性が声を挙げられないのをいいことに数年、数10年も続いている例が少なくないともいう。そして、暴力を振るう男性は、その父親が母親に暴力を振るっていた、あるいは父親や母親に虐待されて育ったケースが少なくないと。因縁というか何と言うか、暴力と暴力を生む心は世代を超えて連なっていくのだ。

 が、こうした暴力を振るう男性の多くは、ごく“普通の人”たちだという。外では立派な社会人として、愛想がよく、人当たりがいい人が少なくないと。その例証として、公務員、サラリーマン、医師、大学教員、聖職者といった職業が挙げられていた。DVは、およそ学歴や職業とは無関係。差があるとすれば、育ってきた環境や、人格的なものだろうか。

 しかし、省みれば、暴力で支配しようとする、その根底には「他者を己の意のままにしたい」という倣岸な感覚がある。わがまま。未熟さ。だが、そんな薄汚い心性は、私にも確かにある。意のままにしたい心、ひと事とはいえない。

 と思いつつ、一方で自分の心さえ持て余す時があるのに、どうして他者の心まで支配できようか--そうも思う。思いつつ、思い通りにならぬとやはりムッとする、他者の人格を尊重できないそんな心性は、根っこのところではやはり、DVなんだろう。

 でも、だって、しかし--。一度は愛したはずなのに、そんなことができるのだろうかと考える。夫婦、恋人..。いや、DVがあるとすれば、彼らが愛したのは自分自身だけだった、からかもしれない。


 この本を編んだ「日本DV防止情報センター」は98年5月に設立された団体。その活動内容を反映して、本書は被害・加害双方に光を当ててDVの実態を知らせるだけでなく、DVに苦しむ人のための対処法、相談窓口、医療・福祉・法的情報、心のケアまでを網羅している。DVに悩む、あるいは「もしかしたら」と思う人に、一読をすすめたい。

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