00.01.15.




 ものの見かた 感じかた
渡辺淳一エッセンス

 
渡辺淳一 著


発行:講談社

1995年6月1日
 第1刷発行


定価:1000円

「こんな中年になりたいなぁ」と思いつつ、「なれないよなー」と肩を落とさせられる1人が渡辺淳一氏。うなずきながら、ページを繰った。

「渡辺淳一を愛読している」とは、ちょっと言い難い空気のようなものがあるように思う(のは私だけかな)。特に女性の前では、「いやーねぇ」と睨まれることがある。『失楽園』が映画やテレビで話題となったせいだろう。しかし確かに、氏の小説には男女の深〜い関係を描いたものが多く、対談や小編でも男女の問題やズバリ性とか愛を話題にしたものが多く、その辺りをも好んで愛読しているわけだから、睨まれても仕方がないといえば仕方ない。

 氏の作品を読むといつも、この人は、男・女の心の機微を実によく知っているなーと思う(「男・女」と表記するのは、「男」の心であり、「女」であり、「男と女」の間柄について、それらをひっくるめてという意味を表現したいから)。情景描写の端々に、登場人物の発する言葉の中に、ドキリとさせるものや、うんうんと頷かせるものがある。

  暗くて深い川(なんて書いてもピントこない世代が増えたなー)の底まで、氏の視線は届いているように思える。だから、私も「こんな中年になれたらいいなー」と思いつつ齢を重ねてきて、自ら中年を自覚する昨今になっても、やはり、ちっとも、こんな事は書けそうもない(というより発想がないのかなー)。頭脳の明晰さか、経験の豊富さか、それとも…。うーんテレビで見てもダンディだしねー。

 本書は、そんな渡辺氏の小説や短編、エッセイ、雑誌での対談などから、氏のものの見かたや考え方の“エッセンス”を取り出したもの。2行から長くても5、6行程度の警句・箴言集といった体裁。氏の世界を俯瞰するにも、ちょうどいいかもしれない。
 私は、夜半に疲れて帰宅した時、ウイスキーかブランデーのグラスを片手にパラパラと拾い読みすることがある。そんな読み方が似合う本だと思う。

 第一章は「。第二章は、外科医でもある(あった)氏らしく「生と死と医学と」。そして第三章「自然」、第四章「作家と創作」となっている。
「生と死と医学と」にも、示唆に富む箴言がいっぱいあるが、ここのテーマはあくまでも「男と女」だから、第一章から少し紹介しておこう。

男の内側
「いざとなると女より男のほうが迷う。さていずれかに決めろと迫られると、途端に男の決断は鈍る」
と記されると、「そうだよなぁー」と思わない?

  そして 「とにかく、女一人ごときに振り回されるから男なのである。女に逃げられても慌てふためかないようでは、男とはいえない」と断言されると、何か安心するような。

 さらに 「大体、知性などというものと、異性への好みなどは関係ない。学業を積めば、女性の好みも高尚になる、といったものではない」の辺りでは、「そうそう」とニヤリとしたりして…。

 それから「淡々としていた女性が、いつのまにか燃えて乱れる女性になっている。男はその変貌に驚き呆れながら、一方でそのように変えた自分に満足する」といった境地に憧れるね。

女の内側
「決断するまで女はあれこれ迷うが、いったん決めたらもはや迷うことはない。まっすぐひたすら目的に向かって進む。女の強さはその一途さにある。女が男より強くなるのは、そのためらわぬ一途さに掛けたときである」
―そうかもしれないなー。男のほうが優柔不断だよな。

「女は一瞬一瞬、愛への集中度が強いだけに、いったん醒めたら、その醒め方も早い。それは女が冷酷というより、妊娠とか出産という役目を背負った性として、中途半端では生きていけない必然の姿なのかもしれない」―……

「女性は自分の中にもう一人、なにをやりだすか知れない台風の眼のようなものを抱き、それがふつふつと動き出すのを感じるときがあるらしい」―……エッセンスとしつつ、男性編に比べて、女性編に割く文字数が多いと感じるのは、氏もやはり男性なんだと思うね。でも、やはり勝てないね女性には。


 最後に、ともどもに安心できるふれーずを一つ。先の「女の内側」から
「女性を玉葱と見ると、その何層もあるうちの、まだほんの表層をむいて覗いただけかもしれない。もっとも、剥けば剥くほど女性がわかるというわけではなく、剥くほどに涙が出て目が曇り、わからなくなることもありそうだが」

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