00.07.20.




娘を殺そうとしたのは、
(写真の病院の)准看護婦だったのか―!!

見出しだけを拾い読みした読者の多くは、
第一印象でそう思ったに違いないと思う

併読のすすめ


7月17日発行
●日刊各紙(大阪本社版)紙面比較の試み

新聞を1紙だけ読んでない? 最低2紙、無理なら立ち読みでもいい、複数紙を読む事を勧めたい。でないと、知らぬ間に“洗脳”されているかも!?

 あたしゃ『赤旗-日曜版』育ち。伯父貴が共産党員だったもので、せめて日曜版だけでも読んでくれと届けてくれた。両親は宗教者だから読むわけもなく、ワクワクと待っていたのは、はや活字フリークの萌芽が見られた早熟な私。いっとう楽しみはマンガだったけれど、ベトナム戦争の激しい時期で、沖縄の駐留軍問題など早くから知っていた。お隣の出来事でもあったしね。

 中学校に入ると、周囲には創価学会の友人が多く、『聖教新聞』なるものも始終眼にしていた。人がものを言うとき、仕入れた情報が基礎になる。クラブ室で、友人の弁当を包んできた新聞紙を拾い読みしながら、「やつのネタ元はこれかー」などと思ったりした。そう嫌いな新聞じゃあなかった。

 高校は寮生活だったから新聞とは少し縁遠かったが、大学に入ると『毎日新聞』を振り出しに、勧誘が来るたびに素直に新聞を変え、とっかえひっかえ読んでいた。新聞によって、同じ事象でも報道の仕方が異なることを知ったのは、そのころ。“恩師”である某教授が大の共産主義嫌いで、「産経新聞を読みなさい、産経新聞。朝日はダメだ!」などと黒板にチョークをギリギリと擦りつけるものだから恐れをなして、「ほんなものかいな〜」と目覚めた。

 その御蔭か熱誠薫陶の賜物か、因果関係はよう分からん〜けれども、くだんの某教授門下あたり(つまりは私の周囲)からは国際勝共連合の支持者(かのやばい霊感商法関連だよな)を多数“排出”した。以来私は20年間、実に素直に『産経新聞』(一時期、『毎日』に浮気したこともあったけどね)。いまでも我が家の書棚には『サンケイ・日共言論裁判―「自由を賭けた戦いの記録」(サンケイ新聞社)なんて本が、テーンと鎮座ましましている。

 で、仕事に就いてからは、幸せなことに朝・毎・読・産に奈良新聞を、朝夕刊セットで目を通せる環境にある。その上、週刊誌も朝・毎・読と新潮、文春----。読み比べて15年、その時々の問題について、各社各様、それぞれの記者の好みまで入って、事件・事故・事象が時として、まったく別物のような報じられ方をするのを目の当たりにしてきた。

 これが政治・思想がらみともなると、極端な場合には『朝日』が国際面トップで報じたニュースを『産経』さんは1文字も載せないとか。あるいはその逆とか----。新聞を1紙だけ読んでいる人同士の頭の中を見ることができたら、この日本という国も、国際情勢も全く違ったものに映っているんだろうなぁ――と、そう思うようになった。同じ事柄に対する解釈や意識の違いというより、事実そのものの把握、世界のそのものの認識の仕方に違いが出てくるのではないかと危惧する。

 ほら、情報統制の敷かれたどこかの国の国民みたいに(という発想自体が、楽園の看板を外しかねている人には“悪意”と映るかもしんないなぁ―難しい!)。つまりは誰かの情報操作で、活字すべてを事実と思い込んで、“鬼畜米兵”と思い込んでしまっているのかもしれない。その意味で、現代で最も“権力”を握っているのはマスコミかもしれない。

 結論、あなたが読んでいる新聞を「正しい」と思い込んではいけない!。複数の新聞を読み比べ、見比べ、自分の頭で考えるしかない。テレビ? たしかに情報源の一つだけど、見聞きする間に流れ過ぎるから、イメージとか気分とかしか残んないでしょう(メディア特性については、また別の機会に)。特に、ニュースの最後に自らのコメントを言い放って終わるタイプのキャスターなんかは、確実に情報操作・意識誘導をしてるよね。


 おっと、冒頭の提起を忘れていた。7月16日に発覚というか発表された、天下の大事件。大阪本社版の朝刊を見て、いろいろ考えさせられた。これは天理市民にとっても、もちろん近来まれな大事件だった。全国紙が連日トップで報じ、テレビニュースもワイドショーも連日報じているから、日本人でこの事件を知らない人は、まずいないだろう。
  だが、ここで取り上げたいのは、事件そのものではない。新聞報道のあり方。

 奈良県警の発表が16日の日曜の午後だったから、好天にレジャーに出て、帰ってbeer呑んでグーという人は、翌朝の新聞で大事を知ったはず。ヘリが飛び交い、中継車が殺到したけれど、それは市中心部でも天理警察署と天理よろづ相談所病院の間の数100mほど。これ以外の地区に住む人は、異変に気づかなかった。

 で翌17日の朝、新聞を開いて「奈良で大事件が起きたんや!」と知った。朝日産経を開いた人は、件の記事を読んだ後に今世紀最長の月食の写真に目を向けたに違いない。ニュースバリューからすれば、世界的関心事であり文字通り“世紀の天文ショー”であったから。

 そして読売奈良の読者は「奈良で大事件。准看護婦が犯人やて!」といった反応だろう。紙面の写真を開いて、並べて見比べてみて欲しい。

 ところが 毎日の“読者”は違ったはずだ。見出しが伝える情報は、他紙と大同小異だが、
必然的に真中にデンと載った写真に目が行ったはず
。病院の建物の特異な外観(まず他所にないデザインだものねぇ)だけではない、
  カメラマンは意図的にこのアングルを見つけ出したのだろう
けれども、手前に案内板の文字が見えるように撮りこまれている(トリミングしたかな?)。そこには「憩の家」「(天理よろづ相談所病院)」「神殿・教祖殿・祖霊殿(←これ天理教本部の施設です。著者注)」の文字が読み取れる―写真の手前だもの当たり前だよねぇ。
  建物の外観を見せるというより、看板の文字を読ませるための写真としか受け取りようがない

 となると、写真を囲む「長女の薬殺図る」「准看護婦 容疑で逮捕」の見出しを読み、驚いて写真を見れば「天理よろづ相談所病院」。多くの人は瞬間的に「あー、憩の家の看護婦が殺人未遂やったんや!」「天理の人間が娘を殺そうとしたんや」と思ってしまうだろう。これは地元の人間として、また身の回りに当の病院の関係者をもつ身としては、実に腹立たしく、唖然呆然としてしまった。なんじゃこれは!

 そう感じたのは、私だけではなかった。事実、後日「驚いたわー、世話になった憩の家の看護婦さんが事件を起こしたんかと思て―」とか「怖くて憩の家に行けんなーと嫁に話したら、勘違いやって叱られたわ」などといった声を、たくさんの人から聞いた。

 当の毎日新聞に聞いたならば、「写真説明にきちんと書いてますよ」「他意はありません」との答えが返って来るだろう。犯行のあった病院を紹介しただけだとね。
  しかし、新聞人なら掲載する写真の内容、アングル、トリミング、大きさと、もろもろのことを瞬間的に考え、判断するものだろう。もし、写真のもつ情報量や影響を考えず、あるいは知らずに紙面を構成しているとしたら、ジャーナリストとしての資質に問題があるといえるかもしれない。

 そして、社会面で扱ったこの事件の記事をも含めて、他紙は現場としての病院の写真を必要とせず『毎日』だけが特に1面トップに(しかもカラーで)持ってくる必然性を意識していたとしたら、朝日・読売・産経・奈良、他のスポーツ紙などを含むメディアの担当者とは相当に異なるセンス、基準があったようだ。そこに働いたものは、何だろうか

 また、『毎日新聞』は記事に署名を付すことに本格的に取り組んでいる。かなり短い、細かな記事にもきちんと記者・カメラマンの氏名を付し、国内の新聞では最先端を走っているものと、その姿勢を高く評価してきた。
  しかし、件の1面、そして社会面の記事とも署名がない! カメラマンの名前はあるのだが・・・・この重要な記事に署名がない。一体これはどういうことだろう? すぐ下の細ネタに署名があって、トップ記事にはない、実にミステリアスな紙面ではある。担当した記者がシャイで署名を拒んだのか、デスクサイドで削られたのか、校正ミスで落ちたのか、それとも・・・・。

 ともあれ、新聞は1紙だけを読んではいけない。また、複数紙をとる余裕がない(ほとんどの人がそうだよねぇ)なら、時々新聞を変えてみるのもいい。世界が新鮮にみえてくるだろう。

  私の友人は、上掲の新聞をみたその日に、『毎日新聞』をとることを止め、販売店との交渉の結果、『日経新聞』に変えた。そのへんの思い、考えについては、彼のコラム(左上のLike a Diary)にも記されているので、興味があれば一読をすすめたい。

 再度ともあれ、実に後味悪く、メディアを考えるには実に興味深い1件だった。その後も、各紙を読み比べている。特に『毎日』のリード(序文)と他紙を読み比べながら。そこに何となく、一定の法則が見えてくるように思える。そのへんは、また

                                ――Takafumi

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