01.01.17.



ことばの国
 
清水義範 著


発行:集英社
(集英社文庫)

1993年9月25日第1刷
1995年6月14日第5刷
定価:460円

「ことば」って本当におもしろい。もっともっと、遊びたいと思う。

“小説集”だと著者が「あとがき」に書き、裏表紙に「ことばと言葉にたいする徹底究明的パスティッシュ小説集」と謳ってあるから、ここに盛られた12本は“小説”なんだろうと、一応納得してみる。でもさぁ、と思う。小説を突き抜けて、世相風刺というか、観察記というか、何と言うか----。

 mm? ところで、パスティッシュって何だぁ? 辞書をひけば、「pastiche=模倣[混成]作品;その手法」とか。なるほどナルホド----、つまりパロディみたいなもんかいな!?。でも、mmmm..いやはや何とも、恐ろしい作品だとは思う。

 1本目の「徹底討論」は、某局の「朝まで----」を彷彿させる。あの番組を録画し、ほどいてみたら、こうなるのかもしれない−などと、家人に気味悪がられながら、ムヒムヒと笑いつつ読了。
 続く「廃語辞典」は、「しっけい」「ロハ」「アベック」「ももいろゆうぎ」「押し売り」「ノンポリ」などなど、ウーンよく見てるよなぁ。懐かしいなぁ。そうかぁ、廃語かぁ----。
 言葉は時と共に変化していく。いくつかの言葉が時代の中で生まれ、やがていくつかは消えていく。消えてしまった廃語の中には、そのことが惜しいようないい言葉も沢山ある。しかし、言葉が生きものである以上、それはしょうがないことである。
 言葉遣いを仕事にしている人間としては、ただこう思うばかりである。
 よーし、ハッスルしてガンバラナクッチャ。                       ―「廃語辞典」から―

 続く「手垢のついた言いまわし」の項では、“赤面し”“頭をかかえ”うなってしまった。
「手垢のついた言い回しを使うな!」との叱責は、思い出すたびに、我が心にトラウマのようなものを形成していると確信する。「陳腐」「臭い」「いかにも」「あざとい」「こてこて」「しつこい」----。耳を塞いで蹲りたくなる。

 それを清水氏は、いきなり、こう書き出す。
 面白いことに、〈手垢のついた言いまわし〉という言いまわし自体が、既にそれである。
 スゴイ、凄すぎる。
 つまり、言いまわしと、とは言葉であって、言葉に手垢なんか本当はつくはずがないのだから。もし本当に手垢のついた言葉なんてものが存在するなら、一度見せてもらいたい。
 脱帽ものである(これもそうかなぁ)。 このあたりから完全に、“清水ワールド”に取り込まれてしまった。シマッタ!

 続く例示、分析には、ただただ赤面。辛らつで、明快で、あー辛いなぁ (*^^;
 手垢のついた言いまわしというものの問題点は要するに、 何も考えずについうかうかと使ってしまい、真実への考察を鈍らせる、ということにある。ある貧乏な人がいて、それがどのくらいの貧乏なのか観察も考察もせず、何気なく、爪に火をともすほどの困窮、と書いてしまえば、真実のところはわからないままである。読み手のほうも、ただぼんやりと、貧乏なんだなあと思うだけなのだ。
 そういうわけで、文章書きの専門家であれば、やっぱり手垢のついた言いまわしは避けたほうがよいわけである。
 年中、やってるよなぁ。情けないよなぁ。

 桂三木助さんが自殺しちゃった。43歳。同世代が自ら死を選んだことを聞くと、なぜか激しく動揺する。「芸の上での行き詰まり」とか。門外漢だけど、結構、好きだったけどなぁ。命削るほどに、真面目に向き合っていたのかなぁ。高い理想を、持っていたのかなぁ。 そう思い、我を我が生き様を振り返ると、あー、不甲斐ないなぁ。力ないよなぁ----。もう少し、しっかり読んでおこうっと

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