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発行:中央公論社 (中公文庫) 1992年06月10日発行 定価:480円(当時) |
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学校の作文などでは「話すように書け」と指導する。でも、“いい作文”と誉めてもらえるのは、話し言葉とは似てもにつかないもの。なぜだろう。 |
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講演会や会議・会合などで、居眠りしている人をよく見かける。国会議員の先生方が居眠りするのは、そこに居たいと思っていないから(義務?)とも思えるけれど、講演会・シンポジウム・研修会など、わざわざお金を払って、聴くために来たはずなのに、人はなぜ眠くなるのだろう? 睡魔との格闘---。その点では、かく言う私自身、決して人のことはいえない。
自身、関心をもっているはずのテーマの議事を傍聴しながら、どうしようもない睡魔に襲われたことが幾度か。 そんな漠然とした疑問に、この書は幾つかの答えをもたらしてくれたように思う。 一つは、“耳の退化”があるんじゃないだろうかということ。 本や新聞をあまり読まない人は、「活字を読むと眠たくなって」という。目で読み、理解するという訓練がなされていないから、疲労が早い。逆に、活字ばかり追ってきた身には、聞いて理解する訓練に乏しいから眠たいのでは?! でもねぇ、話し方にもよるんだよねぇ----。またまた漠と、そんな思いもする。 なるほど、と思う。ざる耳文化に馬鹿耳文化とは、手厳しい。近年の大学でも高校でも、学生・生徒のほとんどは机につっぷしている。話を聞けないんだろう。小中学校もお話を聞くより、受験勉強はひたすらペーパーだもんなぁ。以前のように、朗読をしっかりしなくちゃいけないのかな。 ところで、これと関係があるのかないのか、私はテレビのニュースで、アメリカの大統領の演説を聞くと(字幕だから、読んでいてかな?)、いつも格好いいなぁと思う。いつかスペースシャトルが打ち上げ直後に爆発した時、大統領の追悼の演説では、ついホロリとしてしまった。これなら、殉職したパイロットたちの遺族も、少なくとも誇りをもって生きていけるだろうと。 ひるがえって、わが国の宰相の言語不明瞭、意味不明、かつ心情を伴わない言葉の羅列には、いつもウンザリ。これは、人格や能力、はたまた政治体制の問題なのか。でも、出てくる人、出てくる人、似たり寄ったりだから、日本語という言葉そのもののなかの、話し言葉の未熟さによるものなのか----。でも、活字でみても、戦後の宰相の言葉で、胸に迫るものにはまだ出会えていない。 胸をうつことば、聴いてもらえることば---。難しいなぁ。 またまた、限りなく脱線して、話しことばだけでなく、書きことばすらままにならない私。反省。 著者は、 英語学者にして日本語の名手。8年も前に出たこの中公文庫の見返しに記されているだけでも、『日本語の論理』『ことばのる暮らし』『ことばの四季』『ことばの力』とある。私自身、ずいぶんお世話になっているなぁと、改めて実感する。再読、再々読しても面白さが尽きない。ふしぎ |
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