00.03.19.




日本語の感覚
 
外山 滋比古 著


発行:中央公論社
(中公文庫)

1992年06月10日発行


定価:480円(当時)

 学校の作文などでは「話すように書け」と指導する。でも、“いい作文”と誉めてもらえるのは、話し言葉とは似てもにつかないもの。なぜだろう。

 講演会や会議・会合などで、居眠りしている人をよく見かける。国会議員の先生方が居眠りするのは、そこに居たいと思っていないから(義務?)とも思えるけれど、講演会・シンポジウム・研修会など、わざわざお金を払って、聴くために来たはずなのに、人はなぜ眠くなるのだろう?

 睡魔との格闘---。その点では、かく言う私自身、決して人のことはいえない。 自身、関心をもっているはずのテーマの議事を傍聴しながら、どうしようもない睡魔に襲われたことが幾度か。
  著書を読み、勇んで参加したシンポジウムで、目当ての先生の発題の後半部分が記憶からスッポリ抜け落ちているなどという経験も、ざら----。あー情けない!
  自ら“おしゃべり”を任じていながら、どうも“聴く”ほうはだめ。なぜなんだろう? 

 そんな漠然とした疑問に、この書は幾つかの答えをもたらしてくれたように思う。

 一つは、“耳の退化”があるんじゃないだろうかということ。
――学校教育を受ける度合いのすくなかった人たちは、高度の教育を受けた人たちに比べて、 耳の言葉への依存度が大きい。逆に目の方は遊んでいることが多い。
――視覚的傾向のつよい人は、耳で聞く言葉もいちいち目の言葉に翻訳しているから、目の方がまったく遊ぶということはないが、文字を読むときには耳への翻訳なしに直接に理解されてしまうことが多いから、耳はまったく遊ぶことがありうるのである。
----「聴聞の世界」から

 本や新聞をあまり読まない人は、「活字を読むと眠たくなって」という。目で読み、理解するという訓練がなされていないから、疲労が早い。逆に、活字ばかり追ってきた身には、聞いて理解する訓練に乏しいから眠たいのでは?!
 ----こう考えてみて、「なるほど一理はありそう」。と思う。

 でもねぇ、話し方にもよるんだよねぇ----。またまた漠と、そんな思いもする。
――われわれは、学校教育を長く受ければ受けるほど、また、本を読むことが多くなればなるほど、口と耳が退行して、おもしろい話もできないし、おもしろい話を聞いても、耳に留まらないような人間になってしまうように思われる。
――社会が語感を軽視してきたから、ざる耳文化が時めくようになったのである。近年、学校教育、ことに高等教育の量的拡大が目ざましく、学校滞留年限は戦前に比べていちじるしく長くなっているが、このことが馬鹿耳文化に拍車をかける結果になっていることは否定できない。聴覚文化も発達してはいるが、いまのところは、言語についての聴聞の世界はまだ閉ざされていると言ってよい。
----「話体について」から

 なるほど、と思う。ざる耳文化に馬鹿耳文化とは、手厳しい。近年の大学でも高校でも、学生・生徒のほとんどは机につっぷしている。話を聞けないんだろう。小中学校もお話を聞くより、受験勉強はひたすらペーパーだもんなぁ。以前のように、朗読をしっかりしなくちゃいけないのかな。

 ところで、これと関係があるのかないのか、私はテレビのニュースで、アメリカの大統領の演説を聞くと(字幕だから、読んでいてかな?)、いつも格好いいなぁと思う。いつかスペースシャトルが打ち上げ直後に爆発した時、大統領の追悼の演説では、ついホロリとしてしまった。これなら、殉職したパイロットたちの遺族も、少なくとも誇りをもって生きていけるだろうと。

 ひるがえって、わが国の宰相の言語不明瞭、意味不明、かつ心情を伴わない言葉の羅列には、いつもウンザリ。これは、人格や能力、はたまた政治体制の問題なのか。でも、出てくる人、出てくる人、似たり寄ったりだから、日本語という言葉そのもののなかの、話し言葉の未熟さによるものなのか----。でも、活字でみても、戦後の宰相の言葉で、胸に迫るものにはまだ出会えていない。

 胸をうつことば、聴いてもらえることば---。難しいなぁ。


 またまた、限りなく脱線して、話しことばだけでなく、書きことばすらままにならない私。反省。
 先に引用したが、「話体」は多分著者の造語。文体は語られるのに、話しことばのスタイルは語られていないと。明治以来、言文一致が叫ばれて久しいのに、文章は決して話しことばで書かれてはいない。同じように、話し言葉もまた、改まった席のことばは魅力に乏しい。答弁、演説、講演----。なぜおもしろくない話が多いのかを、切り分けている。
 口で話し、耳で聞くことばに興味のある人には、それこそ興味のつきない本だと思う。

 著者は、 英語学者にして日本語の名手。8年も前に出たこの中公文庫の見返しに記されているだけでも、『日本語の論理』『ことばのる暮らし』『ことばの四季』『ことばの力』とある。私自身、ずいぶんお世話になっているなぁと、改めて実感する。再読、再々読しても面白さが尽きない。ふしぎ
 

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