| 20001.01.04. | ||
|
|
![]() |
|
|
振り返れば、甘く、苦く、懐かしく・・・・。思春期って、何だったんだろう |
||
|
近頃、こころに力が湧いてこない。鬱かなと思う。だだ、しかるべく人に対しては性欲もある、ともあれ夜は眠れる、締め切りの迫った仕事は一応こなしている。 “思秋期”にはいっているのかもしれない−そう思う。 正月もきょうで終わり。飲み疲れてテレビのスイッチを入れると、懐かしいメロディが流れてきた。神田川。ヴァイオリンのむせぶような響きが、心を揺すった。「若かった あの頃 何も恐くなかった。ただ あなたの優しさが 恐かった」。昭和48年のヒットだという。私は中学3年生。聞いたなぁ、うたったなぁ、いろんな感情が一度に覆い被さってきた。 小学校3年生からトランペットを持って、トロンボーン、サキソフォンと変わって。吹奏楽曲やクラシックばかりで高校2年生くらいまではフォークも歌謡曲も無縁だったから、この歌に懐かしさを感じるとしたら、大学に入ってからの記憶だろうか。ピアノに挫折し、フォークギターに懲りて、友人のつまびくギターでいつも歌ってた。サボテンの花とか、君の瞳は一万ボルトとか、遠い世界にとか・・・・。 あのころ思い、語っていたのは、「大人は汚い」「この鋭敏な触覚を、摩滅させるまい」「とんがったままで、生きていこうよ」。細く、長く、敏感だった触覚は、どうやらかなり摩滅してしまったようだ−と、いま、思う。「目的のため」「与わったしごとのため」と自らに言い聞かせつつ、確かに、胡麻も擂っているように思う。自己嫌悪。 名曲『神田川』を作詞した喜多條忠氏が、NHKテレビでこう語っていた。「誰もがみな一つずつ、こころに思い出の樽のようなものを持っている。『神田川』は、私の樽からこぼれ落ちた、滴(しずく)のようなもの」と。30年の歳月を超えて、この曲を、いまも若者たちが歌っているとも聞いた。すばらしい、力。『神田川』のメロディと歌詞は、私の心の樽を揺すり、たくさんの思い出を蒸散させた。思い出にむせ、悔恨にこころ突かれた。俺はいま、何をやっているんだろう。 我が子が思春期の森の中で惑う頃、親父やお袋は思秋期に怯えている。わが人生を振り返り、意味を問い、これから歩み行く道筋を思う。思春期に抱いたような、何でもできる可能性や期待は、思秋期にはない。鬱々とこころ痛む。 書棚を眺め、一冊、取り出した。もう20年も向き合っている、思春期の心理とからだ。そう、若者とは何かを、それこそ若者の時から問い続けてきた。その中で、無数ともいえる教示を受けた一書がこれ。著者は大阪大学医学部・大学院卒。著書に『家庭内暴力』『青年期と現代』『青年期の精神科臨床』などがある。『青い鳥症候群』には、ずいぶんとお世話になったなぁと、思い出す。 「いまどきの若い者は・・・」というフレーズは、4000年前の古代メソポタミアの粘土板に楔形文字で刻まれているという(と学生自分に書いたよなぁ)。清水氏は、終章でこう紹介する。 まだまだたくさんの語りが残されている。2、3紹介してみようか。 無難に無為に打ちすぎては、見えないものあがる。本書は、不登校、拒食症、対人恐怖、事故臭症、うつ、ボーダー、分裂病などを通して、思春期とはどんな年頃か、学校・家庭・おとなはどう対するのかを精神科医としての長年の経験を交えながら、分かりやすく指し示してくれている。 はてさて、思秋期は? 思秋期は思春期の課題と、ちょうど反対なのでは? そう思う。
|
||
|
Presented by Takafumi-labo
since 2000.01.20. (C)All Copyright Takafumi-labo. horoyoi@tenri-iexpress.com |
||