| 00.06.27. | ||
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町沢静雄 著 |
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発行:日本経済新聞社
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青少年が壊れている。学校が壊れている。 |
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17歳の少年によるバスジャック・殺人・傷害事件の報道を見ながら、「“引きこもり”から家庭内暴力にまで至っているなら、町沢先生のグループしかいないなぁ」と思った。一時的に当人の“人権”に目をつぶってでも、入院・治療が必要となるようなケースが、いま増えているという。 全部が全部そうではないだろうが、引きこもり⇒ 不登校 ⇒家庭内暴力と続いたら、親子の関係は壊れている。医療の手を借りて、もう一度“育てなおす”しかないという。対処を誤れば、最悪の場合は、殺すか、殺されるか。はたまた第三者に害が及ぶか…。痛ましい事件は、後を断たない。 治療して社会復帰できれば、それに勝る喜びはない。しかし、当の本人は当然それ(入院治療)を望まないから、本人の意思・人権に反した、親の要請による措置入院となるが…。 人権と人権の衝突。事態を単純化する報道が、事態をよけいに陰惨なものにするケースは少なくないのではないかと思う。たとえば、いじめ。たとえば体罰。決していいことではない。しかし、「その子がどうであれ…」式の物言いは、事態を見えなくする。“加害者”と“被害者”は、綺麗に色分けできるものだろうか?。加害者が被害者だったり、被害者だと報道された方が実は身体的暴力より惨い傷を相手の心に負わせていたり…。 バスジャック事件の続報で、ほうぼうで相手にされず思い余った母親が町沢医師に電話で相談していたことを知った。「広い日本でも、対処できる人、対処してくれる人はそう多くないんだ」と知った。少年の場合も、町沢医師が地元の病院に電話を入れ、「それでいいんですね?」と想定される危険性を説いて、ようやく少年を受け入れさせたという。 しかし間もなく、病院側は判断を誤って一時退院させ、あの事件が起こった。「バカな!」、私はテレビの前でそう叫んだ。親や社会との関係を修復し、育て直すには時間がかかる。半年、1年、2年。それを本人の上申書だけで、一時帰宅・家庭復帰を認めるなんて! 少年は刃物を用意し、予備のチケットまで買って、あのバスに乗ったではないか。実に計画的。 ところが一部マスコミは、「病院に入れるだけ入れて」などと、町沢医師の怠慢であるかのような報道さえした。 「病棟から親への連絡は、最初は手紙。それから電話。それも感情的な会話になるようなら、それ以上話すことを許さない。医師と看護婦が父親と母親になって育て直す。体を張るしかないですよ」。以前、町沢医師は、そう語っていた。 「病院に来ると、『先生、何でこんないい子を入院させるんです』って婦長が聞いてくる。親に怪我をさせ、家の中がぼろぼろになるほどの暴力を振るっていても、外ではいい子。早く帰りたいから、よけいにそう振舞う。心を鬼にして、本当に大丈夫かって、よかったら誉め、悪かったら叱り。体当たりでつきあってみるしかないんですよ」と、確かにそう言った。 少年の母親が思い余って電話をした今年の春ごろ、私は千葉県市川市の町沢メンタル・ヘルス研究所を訪ねていた。2度目の取材。一生懸命な人柄は、私なりにわかったつもり。少年の事件は、他人事とは思えなかった。 その後、週刊新潮だったか文春だったかで、町沢医師は少年の母親の了解を得て、母親からの私信を公開した。町沢医師以外、誰も本気ではとりあってくれなかったと、一時帰宅に不安を感じていたと―母親は記していた。それを境に、無責任な報道はピタリと止んだ。心を病む少年と親に、真剣に向かい合っていたことを、彼らは諒解したのだろうか? それとも…。 だが、かのモンスターを生んだ責任の一端を、当の一部マスコミが背負っていることを自覚したとういうわけではあるまい。本書の帯には、――なぜ自己中心の子が増えているのか! それは、あまりにも自己中心的になった親を反映したもの。家庭や学校、社会に「共感性」を取り戻すことが、今、最も求められている――と、記されている。 何が問題なのか? たぶん小学校に入るまでの子育てが、分かれ目をつくるのだと思う。“自己中心的”な親は、子もまた自分の意のままになると思う。と同時に、子は自らの自我の延長だから自分自身と同じ、近隣の人々や教師に何か言われると、自分のことのように興奮し、怒る。「内の子に何するのよ!」「うちにはうちのやり方がありますから、よけいなことはしないでください」 ――たいていの人は、自分は自己中心とは無縁な人間だと思っているのではないだろうか。 自分自身のことは、客観的には見えていない。私自身、危ないなぁと思う。だから以前は、信頼できる周囲の目や、教師の評価に一応の信を置いたものだ。だから、家庭訪問のときなど、「先生。うちの子が悪さしたら、遠慮なくぶん殴っておくんなさい」なんて、うちの親も言っていたなぁ。でも…、そんな親は減った。もっとも、先生の方もだいぶ危なくなったからかな?? いずれにしても、しつけは7歳までだと言う。教育できる年齢になっては、躾は難しい。それは、もちろん親の責任。学校に入って、教室を歩き回り、教師が「だめですよ!」といっても聞かないような餓鬼になったら、まず先がない。教師が殴るわけには、勿論、いかない。そんな餓鬼に限って、何かあると親が出てきて、「うちの子に何するんです!」 そして、餓鬼が悪かろうが何だろうが結局タレコミによって新聞沙汰になり、結果的に教師生命を断たれる。割に合わないから、目をつぶり、口をつぐみ、放置する。周囲の子どもは、そんな子と同じクラスになった不運を、諦めるしかない。……教員の間に、急速に心を病む人が増えているというのも、分かる気がする。私には、まず勤まらないだろう。餓鬼を殴っているか、自分が入院しているか…。 いかん! どうも悪酔いしたようだ。ほろ酔いでとりあげるテーマじゃなかったかもしれない。 著者の紹介だけ、しておこう。 |
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