00.01.14



喪の途上にて

大事故遺族の悲哀の研究

野田正彰 著


発行:岩波書店

1992年1月24日
  第一刷発行

定価:2400円
(古本屋で入手―?)
もし、かけがえのない人を突然失ったら、人はどうするだろう。
…そして、私は
――本書「おわりに」より――

―かつてのように、戦死や病による夭折が人生の傍らに日常的にある時代ではなくなった。替わりに、人々はゆっくりとやってくる人生の終末としての死について考えられるようになっている。癌による死、癌の告知、尊厳死、脳死と臓器移植、そして老人性痴呆。いずれも、自分の死との係わりにおいて、前もって考えることのできるようになった主題である。人は観念的に、いかに死ぬか、いかに充実した死をもつかと問うている。

―だが死の主題は自死の側にあるのではなく、やはり他者の死の側にあると、私は思う。
―私たちは自分の死をしばしば想像するが、他者の死、愛する人の死は想像しない。一瞬脳裏をよぎることがあっても、その時に自分はどうなるかという、より大きな不安によって吹き消してしまう

 
「こころ」のコーナーの1冊目を何にしようかと本棚を眺め、この本を取り出したのは、きっと1月17日が近づいているせいだろうと思う。あの翌日の夜、被災地を訪ねることのできた私は、数時間いただけでトンボ返りすることに。渋滞する国道2号線を東に向けて走りながら、後方の市街地で火の手が上がるのを見たように記憶している。あれから丸5年、愛する人を一瞬にして失った人たちの心の傷はこの歳月で多少なりとも癒えたのだろうか。さぞ、辛い日々だったろうと思う。

 本書は、1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故、上海列車事故、日航機羽田沖墜落事故など、大事故の遺族たちの悲哀、心の動きをつづったもの。人々がどのように悲しみ、耐え、そして新しい生を歩き始めるようになるのかを克明に追い、記している。と同時に、遺体の取り扱いや補償などにおける航空会社との折衝、周囲の人々とのかかわり、マスコミの取材攻勢など、別離を悲しむ暇さえ与えられない現代という時代をも描き出している。

  著者は精神科医だが、比較文明論・精神病理学・文化人類学などと幅広く、現代社会に生きる人々の心の変容をテーマにフィールドワークを続けている。

 この「愛する人を亡くす」 という話題は、私には苦手なものの一つ。「縁起でもない」と話を逸らしたがるのは、直視するだけの心の力がないのかもしれないと思う。意気地がなくて、優柔不断で…、最近“死の準備教育”という言葉をよく耳にするが、私自身、それが必要だと痛感している。
  昨年は暮れになって、まだ50歳と若い先輩を送った。朝、出勤して間もなく倒れて…という、いわば突然死。そんなに深いつきあいというわけでもなかった私がショックだったくらいだから、残された家族の方々の心痛はいかばかりか。慌しい日々が過ぎたいま、ご自分の心の内を見詰めておられるのだろうと思う。支えになってくれる人、支えとなるものがあってくれればと、ただ祈る。

 そんな意気地のない私だから、クールでそれでいて温かな精神科医の目を通して描き出された無数とも思える“悲哀”を読み取るのは、重く、辛い作業だった。それだけに、読むという作業を通して疑似体験し、これまで避けてきたこのテーマについて、改めて向き合うチャンスを与えてもらったようにも思う。
  いつかは必ず来る、身近な人との別れ…を考える時に、また身近な人を亡くした悲哀に沈む人にどう接するかを考える時に、実に示唆に富む書だと思う。

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