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発行:岩波書店 1992年1月24日 第一刷発行 定価:2400円 (古本屋で入手―?) |
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もし、かけがえのない人を突然失ったら、人はどうするだろう。
…そして、私は |
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| ――本書「おわりに」より―― ―かつてのように、戦死や病による夭折が人生の傍らに日常的にある時代ではなくなった。替わりに、人々はゆっくりとやってくる人生の終末としての死について考えられるようになっている。癌による死、癌の告知、尊厳死、脳死と臓器移植、そして老人性痴呆。いずれも、自分の死との係わりにおいて、前もって考えることのできるようになった主題である。人は観念的に、いかに死ぬか、いかに充実した死をもつかと問うている。 ―だが死の主題は自死の側にあるのではなく、やはり他者の死の側にあると、私は思う。 ―私たちは自分の死をしばしば想像するが、他者の死、愛する人の死は想像しない。一瞬脳裏をよぎることがあっても、その時に自分はどうなるかという、より大きな不安によって吹き消してしまう。 本書は、1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故、上海列車事故、日航機羽田沖墜落事故など、大事故の遺族たちの悲哀、心の動きをつづったもの。人々がどのように悲しみ、耐え、そして新しい生を歩き始めるようになるのかを克明に追い、記している。と同時に、遺体の取り扱いや補償などにおける航空会社との折衝、周囲の人々とのかかわり、マスコミの取材攻勢など、別離を悲しむ暇さえ与えられない現代という時代をも描き出している。 この「愛する人を亡くす」
という話題は、私には苦手なものの一つ。「縁起でもない」と話を逸らしたがるのは、直視するだけの心の力がないのかもしれないと思う。意気地がなくて、優柔不断で…、最近“死の準備教育”という言葉をよく耳にするが、私自身、それが必要だと痛感している。 そんな意気地のない私だから、クールでそれでいて温かな精神科医の目を通して描き出された無数とも思える“悲哀”を読み取るのは、重く、辛い作業だった。それだけに、読むという作業を通して疑似体験し、これまで避けてきたこのテーマについて、改めて向き合うチャンスを与えてもらったようにも思う。 |
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