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00.10.03. |
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辺見 庸 著 |
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定価:1,500円(税込) |
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第一章で、いきなり嘔気が突き上げた。
読み終えて、ため息をついた。 |
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本書は、1994年の「講談社ノンフィクション賞」、そして「JTB紀行文学賞」を受賞。私が手にしたのは初版からわずか4カ月後の“第20刷”。つまり月に5刷! いかに売れ、人々に読まれたかが分かろうというもの。 いわば、知られすぎた書。----だけど、覚悟して読み返して、やはり冒頭の「残飯を食らう」で、再び「嘔気」に襲われた。的確な描写、気持ち悪いほどの筆力に、ついつい最後まで読んでしまい、当コラムに紹介することを決心した。 ----で、ここに件の「残飯を食らう」を転写しようとして頁を開き、懸念通り三度目の嘔気がこみ上げてきて、涙目で断念。残念。興味ある人は、読んでみて。私の想像力が豊かすぎて(?)、身体的なイメージングに弱いだけなのかもしれないけれど。 はっきりした旅程はない。これといった決心もない。ただ一つだけ、私は自身に課した。噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと。 本書のベースになったのは、1993年3月から94年3月まで、共同通信が全国の加盟新聞に週1回配信した国際通年企画(全51回)。著者は1944年(昭和19年)生まれで、早稲田大学文学部を出て共同通信社入り。横浜支局、北京特派員、ハノイ支局長を経て、本書発行時は外信部次長。後に、ノンフィクションライターとして活躍。 先に引いた「旅立ち」は、いわば本書の前書き。1992年末の筆で、著者48歳(?!)。歯を治し、胃潰瘍を治療し、酒を控え、真新しいお守りをバッグに入れて。いわば水杯。 読み進める中、胸中に苦い思いがこみあげてきた。仕事柄もあって20カ国ちかくを巡ってきたけれど、本当にその土地の人々の生活を知っているだろうか、食してきただろうかとの悔恨。 いつもギリギリ日程の詰まった、目的のある旅が多かったから、現地に着けば“ベルトコンベアー”状態。空港のゲートに出迎えていただき、次の目的地へ送ってもらい、あるいはそれらの国の「国内線」のゲートで見送ってもらい、次のゲートで迎えてもらう。 それでも、多少の記憶はある。旅立つとき、インスタント味噌汁やラーメン、梅干、フリカケ、“レトルトご飯”などは、バッグに詰めなかったから。“せっかく「異国」を訪ねるなら、その地のものを味わいたい”と、そう願っていたから。タイでは、滞在3日目あたりから、肛門の周囲が熱を帯びるようになった(辛いのに弱くて)。ジャカルタでは、羊の脳みそを手づかみで。手づかみで食べた鶏肉のフライも、実によかった。アムステルダム郊外の早朝の撮影では、いきなりボリュームたっぷりのパンとチーズに閉口したっけ。ブラジルでは淡水の鯛(名前は??)のボリュームに圧倒された。 振り返れば、旅の思い出は景色より、舌や食道、胃の方が鮮明に覚えているようだ。 本書の頁を繰りながら、そんな旅の思い出が、脈絡もなく浮かんでは消えた。 だが、そんな感傷は、度々吹き飛ばされた。内戦下クロアチアのさまざまな食卓、旧東ドイツの刑務所の食堂、アフリカ・ソマリアの内戦下の食、エチオピアのエイズが蔓延する村のバナナ----。著者は、「食う」ことが、まさに命を繋ぐ営みであることを、これでもかこれでもかと描き出す。生きることに絶望していても、死を覚悟さえしていても、生きている限り、人は食べなければならない。時に人肉さえも----。 前出「旅立つ前に」の中で、著者はこうも記している。 世界中から食材を輸入し、食い散らかし、膨大な残飯を肥料に変えて「環境に優しい」と得々とする国。何かがおかしくはないか。食えない国の人々が、この飽食の国のペットフードを生産し、ようやくに食べている現実。やはり、おかしいなと思う。 私は、高度経済成長期の始まりにもの心つき、多少なりとも質素な食の中で育つことが出来た幸せを噛み締め、あらためて食に感謝し、食を楽しもうと、そう思った。 |
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