00.10.03.



もの食う人びと

辺見 庸 著


発行:共同通信社

1994年6月8日第1刷発行
1994年10月13日第20刷発行

定価:1,500円(税込)

第一章で、いきなり嘔気が突き上げた。 読み終えて、ため息をついた。
人は生きるために食い、愛を分かつために食い、ただ食うために食う。
365日×ン年×3食+α・・・・いったい、どれだけ「食う」てきたのだろう

 本書は、1994年の「講談社ノンフィクション賞」、そして「JTB紀行文学賞」を受賞。私が手にしたのは初版からわずか4カ月後の“第20刷”。つまり月に5刷! いかに売れ、人々に読まれたかが分かろうというもの。 いわば、知られすぎた書。----だけど、覚悟して読み返して、やはり冒頭の「残飯を食らう」で、再び「嘔気」に襲われた。的確な描写、気持ち悪いほどの筆力に、ついつい最後まで読んでしまい、当コラムに紹介することを決心した。

 ----で、ここに件の「残飯を食らう」を転写しようとして頁を開き、懸念通り三度目の嘔気がこみ上げてきて、涙目で断念。残念。興味ある人は、読んでみて。私の想像力が豊かすぎて(?)、身体的なイメージングに弱いだけなのかもしれないけれど。

 はっきりした旅程はない。これといった決心もない。ただ一つだけ、私は自身に課した。噛み、しゃぶる音をたぐり、もの食う風景に分け入って、人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと。
  不安である。意義もわからない。愚かかもしれない。
  でも、そうしてみたい。なぜだろう。 ―「旅立つ前に」から

 本書のベースになったのは、1993年3月から94年3月まで、共同通信が全国の加盟新聞に週1回配信した国際通年企画(全51回)。著者は1944年(昭和19年)生まれで、早稲田大学文学部を出て共同通信社入り。横浜支局、北京特派員、ハノイ支局長を経て、本書発行時は外信部次長。後に、ノンフィクションライターとして活躍。

 先に引いた「旅立ち」は、いわば本書の前書き。1992年末の筆で、著者48歳(?!)。歯を治し、胃潰瘍を治療し、酒を控え、真新しいお守りをバッグに入れて。いわば水杯。
 その旅は、バングラデッシュの路上で残飯を食べて吐き出す経験に始まり、フィリピン、ベトナム、東欧、ロシア(チェルノブイリ)、ソマリア、ウガンダと、歴史や激動する世界情勢を背景に、市井の片隅に住む“フツー”の人々を中心に、その情念を織り込みながら、ただ食し、涙し、癒し、尽くし、共鳴し、1年半をかけて記録し、綴り、繰り重ねられた。

 読み進める中、胸中に苦い思いがこみあげてきた。仕事柄もあって20カ国ちかくを巡ってきたけれど、本当にその土地の人々の生活を知っているだろうか、食してきただろうかとの悔恨。

 いつもギリギリ日程の詰まった、目的のある旅が多かったから、現地に着けば“ベルトコンベアー”状態。空港のゲートに出迎えていただき、次の目的地へ送ってもらい、あるいはそれらの国の「国内線」のゲートで見送ってもらい、次のゲートで迎えてもらう。
  そんな中で、何ほどを知り、見、味わったのだろう? 正露丸をバッグにしのばせ、下痢やなんかで旅程の狂うのを恥と思い定めていた旅の繰り返しの中で、私はその土地の人々の“本当の姿”や食を、見てこなかったのかも、しれない----と、思う。苦い

 それでも、多少の記憶はある。旅立つとき、インスタント味噌汁やラーメン、梅干、フリカケ、“レトルトご飯”などは、バッグに詰めなかったから。“せっかく「異国」を訪ねるなら、その地のものを味わいたい”と、そう願っていたから。タイでは、滞在3日目あたりから、肛門の周囲が熱を帯びるようになった(辛いのに弱くて)。ジャカルタでは、羊の脳みそを手づかみで。手づかみで食べた鶏肉のフライも、実によかった。アムステルダム郊外の早朝の撮影では、いきなりボリュームたっぷりのパンとチーズに閉口したっけ。ブラジルでは淡水の鯛(名前は??)のボリュームに圧倒された。

 振り返れば、旅の思い出は景色より、舌や食道、胃の方が鮮明に覚えているようだ。
 ケニアで食べたのは、象にワニに蛇、それから何だったろう。ナイロビから数百キロ離れた、ほこりっぽい食堂で食べた“ご馳走”は、正体が何だったのか最後までわからなかった。

 本書の頁を繰りながら、そんな旅の思い出が、脈絡もなく浮かんでは消えた。

 だが、そんな感傷は、度々吹き飛ばされた。内戦下クロアチアのさまざまな食卓、旧東ドイツの刑務所の食堂、アフリカ・ソマリアの内戦下の食、エチオピアのエイズが蔓延する村のバナナ----。著者は、「食う」ことが、まさに命を繋ぐ営みであることを、これでもかこれでもかと描き出す。生きることに絶望していても、死を覚悟さえしていても、生きている限り、人は食べなければならない。時に人肉さえも----。
  それは、飽食の国「日本」が忘れつつある、事実、現実、真実だと思う。

 前出「旅立つ前に」の中で、著者はこうも記している。
 私はある予兆を感じるともなく感じている。未来永劫不変とも思われた日本の飽食状況に浮かんで消える、灰色の、まだ曖昧で小さな影。それが、いつか遠い先に、ひょっとしたら「飢渇」という、不吉な輪郭を取って黒ずみ広がっていくかもしれない予兆だ。たらふく食えたのが、食えなくなる逆説、しっぺ返し。いま、そのかすかな気配はないだろうか。途方もない悲観にすぎないかどうか。確かめようもなく、ただ曖昧な灰色の影を胸に帯びて、私はこの国をあとにする。

 世界中から食材を輸入し、食い散らかし、膨大な残飯を肥料に変えて「環境に優しい」と得々とする国。何かがおかしくはないか。食えない国の人々が、この飽食の国のペットフードを生産し、ようやくに食べている現実。やはり、おかしいなと思う。
  このままでは、この国は滅ぶ----ふと、そんな思いすら湧いた。著者が生まれたのは、戦火の最中。戦後の食糧難の時代に育っただけに、いまのこの国の姿が危なっかしく、愚かしく見えるのに違いない。

 私は、高度経済成長期の始まりにもの心つき、多少なりとも質素な食の中で育つことが出来た幸せを噛み締め、あらためて食に感謝し、食を楽しもうと、そう思った。

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