| 00.09.24. | ||
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脳治療革命の朝 柳田邦男 著 |
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「脳死とは何だろう?」という問いが、読み進める中で、何度も何度も浮かびあがってきた。脳死寸前からの“生還”。感動的な命のドラマの数々に、救えたかもしれない無数の“脳死”あったはずだと---- |
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私は、涙腺が弱い。学生時代、彼女と映画を見に行った。『ジョーイ』というタイトルだったか(?!)、白血病の少年とフットボール選手の兄との兄弟愛。「しまった!」と内心思いつつも、ストーリーの進展につれて、鼻がグズグズ。クライマックスでは、大雨で決壊した河川状態。そこに、余韻もへちまもなく、いきなり場内照明がパッと点灯し、慌てて「メガネが〜!」と、眼鏡を拭くふりをして、目じりや鼻をフキフキ。彼女には、初手からすっかり弱みを握られてしまった。 振り返れば、これは遺伝。テレビの時代劇を見ながら、鼻をグズグズするような父親をもった我が身の不運。気が付けば私も、水戸黄門の終盤あたりですら、アブナイ。あるいは、人の生き死や、懸命けなげに生き抜く若者の姿に、ウルウル----。“涙腺指数”が高まるケースを類型化しようと試みたこともあったが、無駄な努力だと諦めた。シドニー五輪の日本対ブラジル戦に涙し、篠原の悲運に泣き、失踪していた部下の無事な姿を発見して胸が詰まる----。あー、あたしゃ泣き虫や。 そう開き直った“泣き虫”、本書ではクリネックスのティッシュペーパーを1箱、空にするほどに泣かしてもらいました。『生還』という言葉、いな「事実」には胸に迫る力がある。そこに、懸命に尽くす医療従事者たちの“聖職”と呼ぶに相応しい態度、思い、献身。泣いて、鼻水をジュルジュルすすりながら、何度「人間って素晴らしい!」「命って、美しい!」と心中に叫んだことか!!!! 書名は「朝」と書いて、「あした」とルビがふられてある。脳治療の新しい時代の始まり、夜明けを意味しているのだろう。と同時に、交通事故や転落事故などによる頭部外傷、くも膜下出血などといった脳内疾患で、これまでは打つ手なく“脳死”になってしまっていた人々の命ををも救いうる「未来」をも、期待と喜びをこめて名づけたのだろうか、と思う。 筆者は「超有名人」。NHK出身のノンフィクション作家。事故や公害、災害、戦争、病気、医学など科学・技術の最先端を追いながら“現代人の生と死”を追い続けている。1993年、子息を亡くし、脳死状態からの死を看取った後に取り組んだのが、「脳低体温療法」。本書のテーマである。 それ以前、氏は脳死臓器移植に、関心をもっていたと記憶している(浅学の過ちであれば、お許しを)。レシピエントに視点を当てていたスタンスから一転して、もう一方の「救えるはずの命」、つまりドナー予備軍に対する医療、科学、人間模様にスポットを当てたのが、本書である。 本書の「あとがき」で、氏は次のように記している。 また、表紙カバーの内側には「著者の言葉」として、こう記されている。 なかに、北海道で極寒の海に転落し、30分も海水に浸かり、心蘇生に1時間もかかった10歳の少年が、何の後遺症も残さず「奇跡の生還」をとげた【事実】も、収められている。感動、感激、驚き----。このケースで注目すべきは、ヘリコプターを使った救急搬送と、脳低体温療法の導入! 事故現場から治療のできる病院までの直線移動距離は60kmで、救急車なら通常1時間15分以上かかるという。それをヘリは23分で疾駆した! 脳死臓器移植法成立後のドナー第一号となった女性が、四国の山間の道を亀のような救急車で運ばれ、臓器となってリアジェットとヘリで運び去られたケースを思う。そして、整備された欧州の救命ヘリの活躍を思った。 「脳死」とは、と問わなくてはならない。何度も、何度も。脳死は、臓器移植を前提とした時だけに認められる、特別な死、人為的な死。臓器提供の場合のみ「死者」とみなされ、そうでない場合には、生きている患者として対さなくてはならない。だから、脳死判定基準に合致する状態であったとしても、提供目的以外で胸を切り開いて心臓を取り出せば、その医師は間違いなく殺人罪に問われる。脳死って、何だろう? 脳死・臓器移植に関心のある人には、次のサイトの一読をお勧めしたい。 |
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