00.06.22.


AERA Mook
死生学が分かる。

日野原重明ほか



発行:朝日新聞社

2000年6月10日発行


定価:1,200円

「死」を真正面から見つめ、考え、語り合う勇気を、私はまだ持っていない。
「縁起でもない」とはぐらかしてきたから。でも、そうも言っていられないようだ。

 昨年来、死について考え、語ることが多い。脳死に尊厳死、死の自己決定権、過労死、ターミナルケア.........。仕事とはいいながら、やはり40の坂を越えると、関心の出てくる事。書店に行っても、他人の机を見ても、ついつい目がとまる。本書も上司の机にあったもの。自宅に電話をして拝借し、一気に読んだ。読後、一冊手元においておきたくなって、書店に注文した。

  目次を開けば、脳死、尊厳死はもとより、自殺、人生の最後の「生命の質」、死を受容する心理学、ホスピス論、生命倫理学、ライフステージと死、癒しと看取りの現場からなどなど、まさに死に関する諸学を網羅した「手引き書」「入門書」のおもむき。

 その冒頭には、かの巨人、聖路加国際病院の理事長・日野原重明医師が、「よく生きることは、よく死ぬこと」と題した一文を寄せておられる。心にかかるフレーズを、ちょっとつまみぐいしてみよう。

――よく生きるということは、健やかに生き、かつ、よく(健やかに)死ぬことだと私は思う。よく死ぬということは、身体的な苦しみが少なく、かつ、平静な心、できれば与えられた生を最後に感謝する言葉を、子どもや友人、次の世代の人に残して死ぬことだ、と私は思っている。
 そこで、人間が生きている間に、できれば子どものうちから、その死を学ぶことにより、よりよく「生」を生きられるようになりたいものと思う。
――死生学とはThanatorogyという。―英語では「死の学問」とズバリ言うが、日本では、死だけをとりあげるのを避けて、「死生学」と呼んでいる。「死学」というと、あまりにストレートだという気遣いからであろう。

 日野原先生の言葉の中には、ここに引いたわずかな部分にさえ、実にさまざまなものが含まれているように思う。人はいつか必ず死ぬということ。その当たり前のことから目をそむけ、死を医学や信仰の敗北だと考えるとしたら、絶対に勝者にはなれない。やがて必ず来る死の扉の前で、おたおたオロオロとすることになるに違いない。

 一方で、死が決して自分だけの問題ではないということも、あらためて気づかされる一点。脳死臓器移植を巡るアンケートでは、自らの臓器を提供してもよいという人の多くが、肉親の臓器は提供できないと答えている。自他をめぐる感情の非対称。「死の自己決定権」をも含めて、もっともっと考えていかなくてはと、思う。

 ドナーカードを持つ人は、肉親の悲嘆は想像もできずに「私の体のことは私が決める」と思っているのだろうか。たとえば私は、娘にもしもの事があった時、ドナーカードを持っていようが、脈打ち温かい身体にメスを入れさせることはできない。それが本人の遺志であろうが、断じてできない。

 先端科学技術に関する多くの優れたドキュメントやレポートを発表している柳田邦男氏は、子息が脳死となった体験から、多くの示唆に富む論考を発表している。その中に、死の“人称”ということがあった。一人称の死、二人称の死、三人称の死。私自身なのか、かけがえのない人なのか、一般論あるいは他所の誰かのことなのか。

 脳死臓器移植ならドナーとレシピエント、およびそれぞれの家族に三つの人称を当てはめて、考えて見なくてはならないだろうと思う。死の自己決定、自殺、殺人.....死を巡る諸相に目を向ければ、心乱れ、惑う。それでもなお目を見開き、分からなければ分からないなりに、考え続けなくては。

――医学は、いくら進歩しても、人の死をなくすことはできない。長寿国の日本人は、いつまでも生きられるつもりで、老いや死を忌み嫌い向き合おうともしないが、それはいつか来る死と向き合おうとしない錯覚にすぎない。
――人は一人ずつ死ぬが、わたしだけの死はない。わたしの死は家族の死でもあり、家族の死は私の死でもある。だが今後、人間関係が矮小化するにつれ、自分に見えないものには、気づかないまま、死などないとみなし、一回的な生を真剣に自覚しない生き方がはびこることになりそうである。
――ひとはいま、自宅で死ぬより、病院などの施設で死ぬほうが多くなった。そのため、ひとの死が前以上に見えないまま、だれかに管理されるかたちで、死をより無機質的な死とみなして、死を施設に委託しがちである。その結果、人間らしい死を放棄し、死を非人間化する傾向を加速化させつつある。
――ひとは肉体を病むが、精神も病む。肉体はいつか死ぬが、精神も死ぬ。ひとの死を、肉体の死からだけとらえる人は、生のただなかで、魂がどれだけ深刻に絶望(魂の死)するか、社会的寿命によってQOLが低下させられるかに留意しないまま、もっぱらデジタル的延命だけを求めつづける。
――小原信・青山学院大学教授(生命倫理学)「『死』の現在についての7つの命題」から

 

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