00.03.19.


祈りのプリズム

「憩の家」病院24

道友社編



発行:天理教道友社

2000年4月1日
初版第1刷発行


1,000円+税

最先端医療と“祈りの心”が同居する大病院。なんとも興味深いテーマ設定ではある

 贈本を一気に読んだ。そして、そこに盛られている人々のひたむきさに、こころ打たれた。

 病院といえば医師、看護婦、検査技師----、そんな職種の人々をすぐに思い浮かべるだろう。しかし、本書が追っているのは、いわゆる医療スタッフだけでなく、大病院を支えるさまざまな職種の人々。それを象徴するように、ルポは木製の床をひたすら磨き上げる「管理課」のスタッフから筆を起こしている。

 印象的なのは、そこに登場する人々が、それぞれに誇りと使命感をもっていること。そして、何といきいきと立ち働いていることか。
――「もう何年も見覚えのあるパジャマを見ると、やはり胸が痛む。だからこそ、より快適に、より心を込めて仕上げていきたい」(用度課洗濯係係長)
――「20数年、ひたすら器材を扱ってきたが、最近、ようやく見えてきたものがあるんです。地道な仕事だが、患者さんの“人生のひとコマ”を支えている、ということを」(中央滅菌材料室技能員)
――「ここ数年で医療・検査機器が急速に発達し、検査の幅も広がってきた。だからこそ、扱う側の意識が問われると思う。どうすれば患者さんに喜んでもらえる検査ができるか。その意識だけは忘れずにいたい」(臨床検査技師)
――「笑顔だけではたすからない、技術も知識も不可欠。でも、笑顔がないと、たすからないとも思うんです」(内科外来処置室看護婦)
----本書から

「職業に貴賎はない」などと言いつつ、心の内では誰もが貴賎をつけている。そのことに、あらためて気づいた。だが、医師と看護婦だけでは、病院は成り立たない。医療スタッフを支え、患者の生活を支える無数ともいえる人々いてこそ。その当たり前が、案外見えていなかったと気づく。

「憩の家」のスタッフたちの自らの職務によせる思いは、多少の違いはあれ、全国の病院で医療を支えるスタッフたちが、共通に持っているものかもしれない。そうであってほしいと思う。本来、どんな仕事にも必要な職業倫理、誇り----
  相次ぐ警察の不祥事や官僚の腐敗、医療過誤などを耳にするたびに、本来あったはずの「誇り」がどこかにいってしまっているせいかもしれないと思う。

 一方、過ぎた誇りは、時に傲慢にすらなる。人はつい、己だけが重要な仕事をしていると考えてしまいがち。それが、人の弱さ、おろかさであるとも思う。
  これは、こと病院に限らない。綺麗事に聞こえるかもしれないが、さまざまな人が、それぞれの場所でそれぞれの役割を果たしてこそ、物事は動いていく。己だけの物差しで、軽々に人を測ってはいけないな、とも思えた。

 そんな誇りと傲慢との紙一重のところでバランスをとれる謙虚さの源は、生命や他者に対する畏敬や尊敬の念だろうと思う。知識や技術によりかかって、生命そのものや病者、支え支えられている同僚への配慮に欠けるとするならば悲しい。

 いま医学が急速に進んでいる中で、暴走しているように見えるのは、そんなところに原因の一端があるのかもしれない。病者をモルモット代わりにしたり、遺伝子を操作し、臓器を植え替え、さらに生命の根源にまで手をつけようとするのは、人の傲慢ではないのかとすら危惧する。

 人の命をあずかる医療や、意味を求めた科学が宗教から離れたのは、たかだかこの100年ほどのこと。そして特に、日本で顕著な現象であるとも聞く。西洋医学はキリスト教のホスピタリティに支えられて発達してきた。日本でも、福祉・医療の起こりは聖徳太子からと聞が、西洋医学を導入するときには、精神性を省いて知識と技術だけを移植してしまった。そこに、いまの医学技術の傲慢さや危うさがあるのだという人もいる。

 本書は、医療の動向だけでなく、生命や職業意識、生きがい、宗教性など、実にさまざまなことを考えさせてくれた。

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