00.02.15.



「脳死」と 臓器移植 

梅原 猛 [編]



発行:朝日新聞社
 ―朝日文庫―

2000年1月1日
第1刷発行
760円+税

人類はルビコン川を渡ってしまったのだろうか
これは単に医療の問題ではない

 本書は1992年に朝日新聞社から発行された単行本に、各筆者の判断で加筆等を行って99年末に改訂、2000年1月1日付で発行されたものである。

 上記「人類はルビコン川をわたってしまったのだろうか」との思いが、読了しての感慨であった。8年も前に出されていた本を知らなかった自らの不明と不勉強を恥じた。
  と同時に、今回よくぞ目に止まったものと、本書との邂逅を喜ぶ。島の空港の待合室で、手持ちの本を読み終わっていなければ、見つけることはなかったかもしれない。

 マスコミはよく「命のリレー」と書く。「命のプレゼント」などということもある。だが私は、そうしたフレーズを目にし、耳にするたびに、そこにいつも何とはない違和感やうさん臭さを感じ続けてきた。
  医療機器の助けを借りているとはいえ、トクトクと脈打つ心臓、ほんのりと紅い温もりを保った皮膚……。それを切り裂いて、心臓を抜き取り、肺、腎、肝と取り出して行く……。その光景を、リアルに想像できるだろうか。

 本書では、臨床の現場に立つ医師たちが、まさに医師の目で見、頭で考えた医療の“限界点”を指摘している。
「脳死」「臓器移植」を巡る問題は、単に生物学・医学の問題にとどまらず、極めて精神的、文化的、社会的、倫理的な問題であると、医療の側から事例をあげ、自らの良心と人間性に基づいて発言んしているのである。ただ感動した。

 この問題を議論する時によく登場する感情的なものいいを使えばこう言えようか。

 脳死臓器移植に慎重・反対・否定の立場を取る者は、自らおよび自らの子どもたちが移植を必要とすると診断された時に、移植医療を拒み、潔く死を選ぶべきであろう。

 一方で、脳死臓器移植を容認・推進・肯定する立場で発言する、あるいは行動する者は、自らの子どもたちが交通事故などで脳死に陥った時に、その諸臓器を提供するよう子どもたちを説得し、ドナーカードを持たせること。そして、その場に臨んでは、喜んでそうすべきであろうと。

 数年前、大きな病院の院長との会話の中で、「私の心臓なんかあかん。へたってんがな。移植される臓器っちゅうのはピチピチしたもんでないと、あかんのや。まぁ40歳代までやなー」と聞かされ、そうなんだと思った事がある。

 ドナーとなれるのは若者。自分自身を振り返っても、30歳代までは自らの「死」などというものは、あんり想像すらしなかった。したくなかった。
 そんな若者が、しかも難しい事は聞きたくない、考えたくないという彼らが、どんな情報を得て、コンビにでドナーカードを持つのだろう。

 もし私の娘がマスコミ報道のみで、感覚的、感情的に脳死臓器移植をとらえ、ドナーカードを持っていたら。
  そして今日、いきなり病院から電話がきて「交通事故です。ドナーカードを持っておられます」などということになったら……。私はどうするだろう。

 本書を読んで、この問題について、もっともっとまじめに、子どもたちと話してみようと思った。生きること、死ぬこと、人類の明日をまじめにかんがえようと思う人には、ぜひ読んでいただきたい1冊である。

 非力な私では、本書のエッセンスを抜き出すことは不可能。著作権を侵してでも、全文をここに採録したい思いである。
 本書には「資料」として、かの脳死臨調の答申「臓器の移植に関する法律」が掲載されている。それだけでも、これを見ずに議論している人には、目を通す価値があると思うがどうだろう。


【本書執筆陣】は、脳神経外科、心臓血管、循環器内科、環境医学などの日本を代表する医学者・臨床家が6人。
  法律家では、刑法学専攻の大学教授、脳死臨調委員、医事法、中央薬事審議会委員経験者など専門家5人。
 哲学・宗教の立場からは、編者でもある梅原猛氏(哲学者)のほかに、臨死体験の先駆的研究者カールぺっカー氏、作家の中島みち氏、宗教学の藤井正雄氏、科学史の米本昌平氏、免疫学専攻の多田富雄氏の6人。

 どの論、視点にも、一々うならされた。

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