00.01.11.


アルツハイマー病患者の手記
 私が壊れる瞬間―とき―

  ダイアナ・フリール・マクゴーウィン著
  中村洋子訳



発行:DHC
(株式会社ディーエイチシー)
1993年10月25日第1刷
1993年11月4日第2刷

定価:1300円(当時)

こんなにも冷静に、力強く、“壊れていく自分”を見つめられるだろうか…

アルツハイマー病患者の手記何年か前、家人が勤め先から借りて帰った本を手にとった時、表紙のサブタイトルの文字が、目に突き刺さってくるように感じた。「アルツハイマーの人が、文章を書けるのか?」「ほかの病気の間違いじゃないのか?」とすら思った。
 読後感は「スゴイ!」の一言。そして、日本では老人性痴呆症として括られているこの病気について、私自身いかに何も知らなかったか、いかに大きな偏見を持っていたかを思いしらされた。

ダイアナ・フリール・マクゴーウィンは、アメリカ・フロリダ州に住む女性。1989年、50歳を過ぎたころから「自分に何かおかしなことが起こり始めている」と気づいたという。
―初めて『アルツハイマー病』だという診断を受けたとき、私は家中の鍵をしっかりかけ、真っ暗な部屋に独り閉じこもっていた。電話が鳴っても、ドアがノックされても答えなかった。私はこの数年に起こったことを懸命に見定めようとしていたが、それでも、真実を受け入れる覚悟はできていなかった。
「はじめに」の冒頭に、彼女はこう書いている。40歳代でゆるやかに発症した彼女が、医師から病気の告知を受けた1991年の日のことだ。

 この冒頭を読みながら、唐突に私は、以前、仕事で3日間ほど特別擁護老人ホームにいた時の事を思い出した。訪ねてきた孫の顔すら分からない入所者を見て、「痴呆症になるなら、癌で死んだ方がましかな」と、同僚と不謹慎な話しをしたもの。
  自分が自分でなくなっていくというのは怖い。しかも、アルツハイマーは、いまなお原因が特定されず、有効な治療法がない。日本ではまだ、治療薬すら承認されていないのが実情と聞く。なす術もない事態を、受け容れるというのは容易ではないだろうと思った。

 だがダイアナは、それからがすごい。子どものころ作家志望だったという彼女は、最近の出来事を覚えられないから―という現実的な必要があったにせよ、自分の症状や出来事、気持ちを克明にメモにとった。それが本書であり、医療人や介護者でなく、患者の目でみたアルツハイマーの本となった。
この本が、アルツハイマー病患者やその家族にとって慰めになることを願っている。また患者は生き続けるために、断固として生きる尊厳を守るべきであると主張したい。
…こう出版の意図を記す彼女は、家族や友人、周囲の人々とのふれあいの中で、自身の怒りや不安、戸惑い、悲しみ、喜びなどを赤裸々に記している。中では性的欲求の問題にまでふれている。

―私は、このやっかいな問題で専門医やホームドクターを訪ね、おずおずと、性欲を抑える薬がないかとたずねてみた。ところが、私の依頼は拒否されてしまった。私のホームドクターは吹き出しさえして、世間の人なら、いちばん望ましいと思っていることが、なぜあなたは悩みだと思うのでしょう、と聞いたりする。
 人間である以上、それがあるのが当たり前なのに、自分には許して他者には許さないということがある。たとえば、老人の性もそう。つい最近まで、老人の性にフタをし「みっともない」とか「外聞が悪い」などと言ってきた日本社会なら、ダイアナの直面した問題はさらに深刻だったろう。病気への対処にも、文化や生活習慣が密接に絡み合ってくるのだと、いまさらに思った。


アルツハイマーとどう折り合いをつけるか。もし私がそうなったらと想像してみると、からっきし自信がない。「癌で死んだ方がましかな」などと言いつつ、もし癌告知を受けたらと考えると怒りや拒否ばかりが先に立って、事態を受け容れる前に死を選ぶかもしれないなと、意気地ない自分を見つめる。
「もし…」と自身や近親者の未来について考えてみようという人には、この書は勇気を与えてくれるのかもしれない。久々に読み返してみて、そう思った。

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