| 00.06.23. | ||
|
|
![]() |
1992年10月15日初版 |
|
“世界史が廻る”は大仰じゃないのぉ!? と思いきや、一読なっとく。コーヒーがなかったら、また違った世界になっていたかもしれない・・・・ |
||
|
初めてコーヒーらしいコーヒーと出会ったのは、大学生の時。7つ歳上の先輩の家で、サイフォンでいれたコーヒーを飲ませてもらった。その格好のよさ、口にした香りのよさ、甘味を含んだ苦さ---。いっぺんで、虜になってしまった。 しばらくして、古いサイフォンをもらった。住んでいたのは、四畳半一間のアパート「豊荘」。友人は誰も本当の名前を知らず、廊下も階段もギシギシきしむから、“倒れ荘”とか“ぺんぺん荘”と呼んでいた。そのガラス窓の隙間にガムテープを貼った部屋で、青白く燃えるアルコールランプの炎を見守り、やがて立ち上るアロマに至福の時をすごしたことを思い出す。 間もなく腰の手術で入院するはめになった。「何が欲しい?」と聞いた先輩に、「コーヒー」と私。先輩は、いつも行っていた喫茶店で当時まだ珍しかったステンレスのポットを用意してもらい、毎日毎日、きっちり2杯分ずつ持ってきてくれた。だが、ベッドに寝たきりの私は、ストローでしか飲めない。香りをわずかに嗅ぎ、冷めてから吸い上げた。 退院の日、お礼参りの後で件の喫茶店に直行したのは言うまでもない。ボディにギプスを巻いたままのロボコップ状態で、階段を一段一段、期待に胸ふくらませながら上ったものだった。やっと、舌をやくあのコーヒーが飲める! でも今にして思えば、いったいいくらかかったんだろう?コーヒーの差し入れ。3カ月近く入院していたから、90日×250円(当時)×2杯! それより何より、ポットを手に病院まで来てくださった思いに感謝! 以来、コーヒーとは縁が切れない。職場でもNESCAFEじゃ嫌だと、周囲の顰蹙を浴びつつ(ものともせず)、片岡物産のMONCAFEを愛用している。各社いろいろ試みて、結局MONCAFEが一番うまいと思っている(本当だよ。試してごらん) 俗に「飲む、打つ、買う」というけれど、私の場合は「飲む、呑む、のむ」。コーヒーにお酒に、たばこ。よくもまぁ体に悪い(度を過ぎればね)ものばかり好きになったものだけれど、これなしでは生きていられない----とタバコを咥え、ワインをズボンにこぼしつつ、キーボードをたたいている。 いけない! 本の紹介だった。筆者はドイツ文学が専門の東大の教授。よほどのコーヒー好きとみえて、イスラーム世界でのコーヒーの発祥から、17世紀にヨーロッパに急速に広がったカフェー、そしてフランス革命とナポレオン、第一次世界大戦、ヒトラー、近代戦争と、近々300年の世界の動きとコーヒーとのかかわりを活写している。 フランス革命のゆりかごがカフェーであったとか、第一次世界大戦の時のドイツ軍の戦時栄養課の苦労とか、はたまた植民地、コーヒー栽培の気候・土壌、経済システムと、縦横無尽に資料を駆使し、筆を走らせている。「コーヒーがなかったら、世界史は別の局面を見せていたかもしれない」と読者に思わせるに足る説得力が、そこにある。おもしろい! だから、本書の目次の次には、「コーヒーとともに廻る本文中の主な場所」とキャプションを付した地図が載っている。アフリカを真ン中にし、東(右)端はインドネシアのジャワ、西は南アメリカ、合衆国の港町ニューヨーク。そして地図中には、アラブ圏イエメンの港町モカ、エジプトのカイロ、ケニアのキリマンジャロ山、ヨーロッパの諸都市、ブラジルのサンパウロとサントス港....と、なんとも懐かしいような名前が点在している。 コーヒーが生まれるのは、赤道をはさんで南緯と北緯の各25度の間。ちょうど地球を一周して帯状になっているから、“コーヒーベルト”となどと呼ばれている。ただ、このベルト内ならどこでもコーヒーが育つというわけではなく、平均気温20度前後で年間降雨量が1,000〜3,000mm。また、日当たりが良く、適当な日陰があること、さらによく肥えた水はけの良い土壌であること、霜は絶対に降りないことなどの条件があり、なかなかにデリケート、贅沢な樹木。これらの諸条件を満たして、ようやく良質のコーヒーが栽培される。 コーヒー好きにとっては至福の限りだが、仕事の上でケニア、インドネシア、エジプト、コロンビア、ブラジルを訪ねることができた。ナイロビでは、高級住宅街の中の喫茶店で、毎日コーヒーを飲んだ。コロンビアでは、小さなカップでチョコチョコちょこちょこコーヒーを味わった。ケニアでもブラジルでもコーヒー園に立ち寄り、ルビーのような美しい実と対面し、コーヒー栽培の苦労を聞いた。 そのブラジル行きでは、あのドロッとした甘いコーヒーを恐れて、くだんのMONCAFEを持参した。しかし、コーヒーの国であまりに失礼な振る舞いと思い、出しそびれていたら、一日二日たつうちに、あのコーヒーが何とも美味しく感じられるようになり、愉快になってきた。郷に入りては郷に従え。土地所で一番おいしい飲み方を、歳月をかけて生み出してきたのだから-*-*そう思った。 ペルーの家庭では、濃いコーヒーのカップと熱湯の入ったポットが食卓に出て驚いた。聞けば、「好きな濃さになるように湯を入れればいい」と。日本で、NESCAFEだけをカップにいれて、ミルクと砂糖を一緒に回し「お好きなだけ、どうぞ」といわれて感心したことがあるが、ペルー・リマはその上を行っていた。ナルホドおもしろい。 そうした、ここ10数年の体験から、酒もたばこもコーヒーも、その土地でのむのが最高!--だと思っている。日差し、温度、湿度、食物、水---? 何故か分からないけれど、美味しいからと日本に持ち帰って、美味しかったためしがない。かの沖縄のオリオンビールさえ、沖縄で飲むと最高に美味しいのに、ルンルン持って帰って、美味しいと言って貰ったためしがない。 コーヒー豆の産地では、「もっとも良い豆は日本に、次は欧州に、そして米国にいきます。最も悪い豆を私たちは飲んでいるんです」と、そんな話も聞いた。なるほど、ウィーンのカフェ「モーツァルト」ではいいコーヒーを飲ませてもらったけれど、経営は日本資本だったっけ。 件の産出国で、市内のみやげ物店で日本に持って帰る豆を購入しようとする私を押しとどめて、わざわざ輸出用の豆を調達してくれた方もいた。 気候不順に極端に弱い、実にデリケートな樹木。一度霜が降りれば枯死し、数年間の丹精が水泡に帰す。そんな話を、ブラジル・パラナ州で聞いた。でも、実れば実ったで、一つひとつの実を手作業でつみ、果肉を取り去り、乾燥させて出荷する。労働集約型のその過酷な営み。彼らの厳しい労働の上に、日常の私の至福があるのを知って、ただただ頭を垂れるしかなかった。コーヒー豆が高いと言うなかれ、豆を無駄に殺すなかれ。 だから、せっかくの上質の豆(世界でも一番!)を、わざわざ香りや味を殺して出す喫茶店には、腹立たしい思いをする。ここ天理にも、そんな店が少なくない---と、その辺のところは、また機会がある時に書こう。 あーっ、本の内容紹介を忘れた。mmmm興味のある人は、ぜひ一度読んでみて。コーヒーって、本当におもしろいよ。 コーヒーについて、もっと知りたい方に、おまけ。 |
||
|
Presented by Takafumi-labo.
since 2000.01.20. (C)All Copyright Takafumi-labo. horoyoi@tenri-iexpress.com |
||