00.01.28.



 人はなぜ匂いにこだわるか
  知らなかった匂いの不思議

村山卓也 著


発行:KKベストセラーズ
1989年1月5日
  初版発行
1990年8月15日
  三版発行

定価:960円

美しい人とすれ違ったとき、無意識に“残り香”を嗅いでいることがある。
私だけかと思っていたが、聞けば覚えのある男性諸氏も少なくない。
とすると、現代人が失いつつある貴重な本能か、単なるスケベか…

アフリカとの最初の出会いは臭いだった。もう10年も前の事。仕事でヨーロッパの諸都市を巡り、オランダ航空のジャンボジェットでケニアのナイロビに降り立ったのは、6月初めの真夜中だった。ボーディングブリッジなどという気の利いた物はなく、ドア口に立って見下ろすタラップはとてつもなく長く見えた。
 そうした諸々より、強く印象に残っているのは、臭い。動物の糞尿、樹木? それから…。ありとあらゆる臭気が渾然と入り混じり、湿った夜風にのってジャンボのドア口に立った私の顔面に真正面から襲い掛かってきた時、「あぁ、アフリカの大地の匂いだ」「私はアフリカに来たんだ」と突然、実感した。
 あの臭いは、 妙に懐かしいような、怖いような気分と一緒に、鮮明に記憶に刻まれている。

 匂いは感情に直結する 感覚なんだと、私は思う。意識する前に、考える前に、感情というか気分というか、心を動かす…。潮の香やご飯の炊ける匂いは、郷愁を覚えさせる。愛しい人の胸の匂いや髪の香は、切なく、甘酸っぱく心を揺する。
  そして、火薬の燃える匂いはドキドキとした期待感を、カーバイトの燃える匂いは忘れていた祭の夜の興奮を蘇らせる。匂いは突如として、棚の奥深くにしまいこんで忘れてしまっていた情景をも目の前に映して見せる。

  生まれた河の匂いをその細胞の奥深くに刻んでいて、次なる生命を生み出し自らの命を屠るために、違えずに帰ってくる鮭たち。異性の出す求愛の香に、数キロ離れた地点で感応し、まっしぐらに飛んでくるけなげな虫たち。そうした生き物たちの姿を知るとき、匂いという感覚は、生命そのものに直結しているのではないかとすら、思えてくる。
 現実的すぎる視点だが、鼻が口のすぐ上に位置し、味覚とともに食物の安全性を吟味するようになっているのも、その証左の一つだろう。嗅覚がなければ、食品の安全性のチェックはもとより、美味しく食べることすらできない。文字通り嗅覚は、生命を護るセンサーでもあるのだ。

 しかし、これほど不確かで、確かな感覚もないと、いまさらに思う。視覚は物に反射してくる電磁波をとらえ、聴覚は音源から出てくる音波をとらえる。いずれも、物理的刺激を受信しているから、その質や強弱を測ることができる。人は、光や音をカメラやマイクを通して物理的な媒体に記録したり、電子機器や顕微鏡などで増幅したり、伝達したりしている。

  しかし、匂いを何かに記し留めておくことはできない。確かに、臭いを測定する器具はあり、成分の濃度として数字を記録することはできよう。あるいは、硝子びんか何かに詰めておくか…。しかし、そうする人は少ない。人は匂いを、それぞれの記憶に留める。無意識のうちに、刻んでいる。そう思うと、意識して覚えておきたい、刻んでおきたい匂いが、いっぱいあると思えてくる。遠い将来のいつか、自らの“こころの扉”“記憶の扉”を開くときに、keyとなる香。それをいま、二度と来ないその時々に刻んでおきたいと思う。精一杯に“嗅いでおきたい”と、そう思う。

 本書はタイトルどおりこの不思議な感覚匂いにとことんこだわった一冊。匂いとは何かから、文学や映画、歴史、異文化における匂い、動物、きき酒、ハーブや花、香水、薫香…と、とにかく匂いにかかわるエピソードが盛られていて、興味深い。

 中で特に印象に残ったのが「匂い」という言葉そのもの。「香り」に対し、「匂い」は「臭い」と同じように負のイメージを抱いているとばかり、私は思い込んでいた。ところが、著者は歌人の言をひいてこう記す。
―「におい」の「に」は、赤い染料または顔料に使われた「丹(に)」のことをいい、「におう」とは古語で「にほふ」と書き、その「ほ」は「穂(秀=ほ)」のことで、穂とは、高く盛り上がった様、周囲より秀でた様をいい、「ほふ」は、動詞の活用形につかわれているのだ

 この鮮やかな紅といった色覚に関する美詞が、転じて香りを表す言葉となったという。
―古今集以後には、鼻ににおうものが、相当、表に出てくる。
―「匂い」とは、ふつう、よいにおいをいい、「臭い」は、中性および悪いにおいにつかわれることが多い。
したがって、悪いにおいは、悪臭、異臭、腐臭などとつかい、「匂い」という字はつかわない。

 一方、相当な臭気でもすぐに鼻が慣れて感じなくなってしまうということがある。確かに匂っているはずなのに、匂わない、匂いの不思議。自分では分からない臭いもある。
 さらに不思議は、ある人にとっては好ましい匂いが、他の人には耐えられない臭いとなること。納豆やクサヤといった食物、香料だけでなく、人そのものが持つ匂いもそう。乳臭い、汗臭い、男臭い…。その人が愛しい人なら、可愛い子どもなら、至上の匂いと感ずるのに、同じ匂いでもその人が嫌いなら耐えがたい悪臭と感ずる。匂いの不思議…。不思議な匂い。 だからこそ、人は匂いに惹かれるのかもしれないと思う。


 臭いといえば、中年の臭いの原因が報じられ、その臭いを消すグッズも近年発売された。
  keyとなる芳香、匂いに惹かれつつ、私自身は相当に臭い中年だと最近自覚し始めた。まず、ニンニクが大好物、スモーカー、汗っかき…。まさに、悪臭が服を着て歩いているといったところ。周囲には、相当の迷惑を及ぼしていに違いないと、身の縮む思い。その上、駄洒落も臭いし、“存在そのものがクサイ”との酷評も聞く。
 だが、自らの臭いを気にしすぎると、ない臭いまでも気になるという神経症があるとか。多少は周囲に申し訳なく思いつつ、しかし臭いもまた私自身の一部だと思うしかない。そこでこの機会に、 web上をお借りして、ご不快をお掛けしている諸姉諸兄に深くお詫びしておこう。臭くてゴメンナサイ。

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